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面倒見のいい幼馴染が、今日も僕を叱る  作者: Takayu
第四章 僕らが照らす道
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第四十四話 二つの家族の物語

「……颯喜」


僕がその名前を口にした瞬間、リビングの空気が凍りついた。

母さんは、手にしていた雑誌を静かにテーブルの上に置くと、ゆっくりと顔を上げた。

その顔からは、いつもの穏やかな笑みは消え、代わりに僕の知らない、深い哀しみの色が浮かんでいた。


「……その名前を、どこで?」

か細く、震える声だった。

隣に座る優愛が、ごくりと息を呑むのが分かる。


「光道の本邸で。ひいおじいちゃんの日記を、見たんだ」

僕が正直に答えると、母さんは「そう……」とだけ呟き、目を伏せた。

そして、ちょうど仕事から帰ってきて、リビングに入ろうとしていた父さんの姿を認めると、か細い声で呼びかけた。

「……あなた、ちょっと」


父さんは、リビングの張り詰めた空気と、僕と優愛の真剣な顔を見て、何があったのかを察したようだった。

いつもは冗談ばかり言う父さんが、黙って僕らの向かいのソファに腰を下ろす。


「溢喜。お前に、いつか話さなければならないと思っていた」

父さんは、僕と優愛を交互に見ながら、静かに語り始めた。

「颯喜さんは……私の父……お前にとっての祖父の、兄だ。私にとっては、伯父にあたる」

「おじいちゃんの、兄さん……?」


「ああ」と、父さんは頷いた。

僕の父方の祖父は、僕が生まれる前に亡くなっている。

だから、僕は写真でしか顔を知らない。

「お前にとっては、大伯父だな。体が少し弱かったが、近所に住んでいた光道家の兄弟たちとは、本当の兄弟のように仲が良かった」


大伯父……。

それなら、光道四兄弟と全く同じ世代だ。

「五人兄弟」という関係も、名字が「青空」なのも、すべて辻褄が合う。


「会社の跡継ぎとして厳しく育てられていた彼らにとって、少し年上で、どこか達観したところのある颯喜伯父さんは、心安らげる唯一の存在だったんだろう。特に、君のおじいちゃんである真実さんとは、親友と呼べる仲だったそうだ」


父さんの脳裏に、当時の光景が蘇っているのだろう。

その目は、僕らではなく、遠い過去を見つめていた。


「五人は、いつも一緒だった。光道のおじい様……君たちのひいおじい様も、颯喜伯父さんのことを『五人目の息子だ』と言って、本当に可愛がってくれた。光道家と、私たち青空家は、血の繋がりなんて関係なく、大きな一つの家族だったんだ」


幸せそうに語る父さんの顔が、次の瞬間、ふっと翳った。


「……あの日までは」


父さんの声が、低くなる。


「あの日……五人は、近くの川に釣りに出かけた。夕方になっても、誰も帰ってこなくて……」


父さんは、一度言葉を切った。

思い出すのも辛いのだろう。

その沈黙の重さに、僕の手が知らず知らずのうちに固く握りしめられていた。

それに気づいたのか、隣に座る優愛が、僕のその拳の上に、自分の手をそっと重ねてきた。

「大丈夫だよ」とでも言うような、静かで、でも確かな温かさ。

その温もりが、僕の心をかろうじて支えてくれていた。


「……見つかったのは、夜になってからだった。前日までの雨で増水していた川に、足を滑らせたんだ。颯喜伯父さんは……助からなかった」


「……っ」

息が詰まる。

そんな、ことが……。


「問題は、そこからだった」

父さんは、唇を噛み締めながら続けた。

「一緒にいたはずの四兄弟の話が、食い違っていたんだ。『お前がふざけていたからだ』とか『いや、お前こそ、釣り場から離れていただろう』とか……本当は、ただの不幸な事故だったのかもしれない。だが、大切な兄貴分を失った動揺と悲しみで、彼らは責任のなすりつけ合いしかできなかった」


ひいおじいちゃんの日記にあった、『優誓と真実が、互いを責め合っている』という記述が、鮮明に蘇る。


「一番仲の良かった優誓さんと真実さんが、一番激しくいがみ合った。そして、うちの祖父……私の父が、激怒してね。それがきっかけで、光道家と、私たち青空家の間に、深くて、長い溝ができてしまった。颯喜伯父さんの名前は、両家にとって、思い出したくもない、禁句になったんだ」


だから、僕はこの話を知らなかったのか。

だから、父さんも母さんも、光道家の話を、僕に一切してこなかったのか。


僕は、そこでふと、最大の疑問に思い至った。

「……待って。じゃあ、父さんと母さんは、どうして……?」


そうだ。

光道家と青空家の間に、そんなにも深い溝があったのなら。

なぜ、光道家の娘である母さんと、青空家の息子である父さんは、結婚できたんだ?


僕の問いに、父さんは、隣に座る母さんの手をそっと握った。


「……反対されたよ。それはもう、ものすごい剣幕でな」

父さんは、遠い目をして言った。

「特に、君のおじいちゃんである真実さんからは、『青空の人間だけは絶対に許さん』とまで言われた。私と君の母さんは、いわば駆け落ち同然で一緒になったんだ」


母さんも、静かに頷く。

「でも、私たち、諦めきれなかったの。父たちが失ってしまった、あの『大きな一つの家族』を、もう一度私たちの代で取り戻したかったから。その想いだけで、私たちは一緒になったのよ」


駆け落ち同然……。

僕が生まれてくるまでに、両親にそんな壮絶な過去があったなんて。


「結局、君が生まれたことで、頑なだった真実さんも、少しずつ態度を軟化させてくれた。孫の顔は、見たかったんだろうな」

父さんは、そこで一度、僕の目をまっすぐに見つめた。


「だが、それでも、本当の意味で両家が和解したわけじゃなかった。颯喜伯父さんの死という、根本にある呪いは、解けていなかったんだ。私たちは、ただ見ないようにして、蓋をしていただけだった」


父さんは、深く頭を下げた。

「すまなかった、溢喜。お前に、こんなに重い過去を背負わせるつもりはなかった。でも……」

父さんは、僕の手をそっと握りしめた。その手は、大きく、少しだけ震えていた。

「お前が優愛さんと仲良くなって、おじい様たちが、もう一度この過去と向き合おうとしてくれている。私たちができなかった、本当の意味での和解を、もしかしたら、お前たちなら成し遂げてくれるんじゃないかって……そう、期待してしまったんだ」


父さんの目から、一筋の涙がこぼれ落ちるのを、僕は初めて見た。

僕は、何も言うことができなかった。

ただ、握られた父の手を、優愛が握ってくれている僕の手の上から、強く、強く握り返すことしかできなかった。


光道家と青空家を繋ぎ、そして引き裂いた、颯喜という名の大伯父の存在。

その重すぎる真実と、両親が繋いできた想いのバトンが、今、確かに僕の肩に、ずしりとのしかかってきていた。

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