第四十三話 僕らがすべきこと
光道本邸の書斎を出た後も、僕と優愛は、どちらも言葉を発することができなかった。
ひいおじいちゃんの日記にあった「颯喜」という名前と、僕の名字である「青空」の文字。
そして、若き日の四兄弟と、あの五人目の少年の笑顔。
断片的な情報が、頭の中でぐるぐると回り続けていた。
帰り道の電車の中、僕らは窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていた。
いつもなら、今日あった出来事を他愛なく話している時間。
でも、今日僕らが見つけてしまったものは、あまりにも重すぎた。
「……溢喜」
家の近くの、いつもの角で。
先に沈黙を破ったのは、優愛だった。
「うん」
「あのこと……どうする?」
どうする。
その問いに、僕も答えを持っていなかった。
おじいちゃんたちに聞くべきか?
でも、あれは彼らがひた隠しにしてきた過去だ。
僕らが土足で踏み込んでいい領域なのか。
「……分からない。でも、放っておけないよ」
僕がそう言うと、優愛は力なく頷いた。
「そうだよね。特に、溢喜の名字が出てきたんだもんね……」
そうだ。
これはもう、ただの光道家の過去じゃない。
僕自身のルーツにも関わっているかもしれない、重大な問題だ。
僕らが黙り込んでいると、不意に、ポケットの中のスマホが震えた。
画面に表示されたのは、「美褒」の名前だった。
『もしもし、溢喜? 今、大丈夫?』
電話の向こうの美褒の声は、いつものおっとりとした感じとは少し違って、どこか真剣な響きを帯びていた。
「どうしたんだよ、急に」
『それがさ……さっき、うちのおじいちゃん(爽快)から電話があって。なんか、すごく慌ててたんだよね』
「爽快おじいちゃんが?」
あの物静かなおじいちゃんが慌ててる姿なんて、想像もつかない。
『うん。「溢喜くんと優愛くんが、本邸の書斎に入ったって本当かい!?」って。どうやら、優誓おじいちゃんから連絡がいったみたいで……』
僕と優愛は、息を呑んで顔を見合わせた。
バレていた。
『それでさ、うちのおじいちゃん、こう言ってたんだ。「もし、二人が何かを見てしまったのなら……真実を知りたいと願うのなら……次に話を聞くべき相手は、私たち(四兄弟)ではない」って』
「え……? どういうこと?」
『「青空の家に行きなさい」って。……溢喜の、お家に』
電話を切った後も、僕らはその場に立ち尽くしていた。
青空の家。
僕の家に、答えがある?
一体、どういうことなんだ。
僕の両親は、何か知っているのか?
「……行くしかない、よね」
優愛が、震える声で言った。
「うん」
僕らは、どちらからともなく歩き出す。
目指すのは、優愛の家ではなく、僕の家。
たった数メートルの距離が、今は果てしなく遠く感じられた。
玄関のドアを開けると、リビングから母さんの「おかえりなさい」という声が聞こえる。
いつもと同じ、穏やかな日常。
でも、僕の心臓は、今まで感じたことのないくらい、激しく鼓動していた。
「母さん、ちょっといい?」
リビングのソファに座る母さんの前に、僕と優愛は並んで立った。
母さんは、優愛がいることに少し驚きながらも、「どうしたの、二人して改まって」と優しく微笑む。
僕は、どう切り出すべきか迷った。
でも、もう、遠回りをしている時間はない。
「母さんは……颯喜って名前、知ってる?」
その瞬間、母さんの顔から、すっと表情が消えた。
いつも穏やかな母さんが見せたことのない、硬く、そして悲しそうな顔。
その反応だけで、僕は確信した。
僕らは、正しい場所にたどり着いたのだと。
そして、僕が今まで知らなかった、僕の家族の、本当の物語が、今、始まろうとしていた。




