第三十八話 あの日のリベンジ
優愛からのお誘いを受けたあの日から、僕の日常はほんの少しだけ色を変えた。
月曜日の朝、いつものように隣り合って玄関を出ても、もう戸惑いはない。
代わりに、週末への期待が胸の奥で小さく芽吹いているのを感じる。
「日曜日、どこ行くか決まったのかよ?」
昼休み、希望がニヤニヤしながら聞いてくる。
「まだ。優愛が考えてくれてる」
僕がそう答えると、美褒が「ゆーちゃん、昨日もガイドブックとか見てたよ。すっごく楽しそうだった」と教えてくれた。
僕のために、一生懸命考えてくれている。
その事実だけで、どうしようもなく頬が緩んでしまった。
そして、土曜日の夜。
スマホがメッセージの受信を告げる。
差出人は、優愛だった。
『明日、楽しみだね。行き先、決まったよ』
『どこ?』
すぐに返信すると、彼女からの答えは、僕の記憶の奥底をくすぐる、懐かしい場所の名前だった。
『覚えてるかな? 小学校の時、二人で自転車で行こうとして、途中で行けなくなっちゃった水族館』
忘れるはずがなかった。
僕が途中で盛大に転んで膝を擦りむいて、泣きべそをかいて、優愛に呆れられながら家に連れて帰られた、あの日のことだ。
『……覚えてる。リベンジだな』
『うん。リベンジ!』
画面の向こうの彼女の笑顔が見えるようで、僕はベッドの上で静かに笑った。
翌日。
待ち合わせ場所の駅前で僕を待っていたのは、この前の「お出かけ」の時よりも、少しだけリラックスした服装の優愛だった。
でも、やっぱり特別で、すごく可愛い。
僕も、前回よりは少しだけマシな服を選べたんじゃないかと思う。
電車を乗り継いでたどり着いた水族館は、僕の記憶の中にあるよりもずっと大きくて、立派だった。
中に入ると、ひんやりとした空気が僕らを包む。
青い光に満たされた空間に、たくさんの魚たちが優雅に泳いでいた。
「わぁ……綺麗」
優愛が、目の前の大きなトンネル水槽を見上げて、感嘆の声を漏らす。
頭上を巨大なジンベイザメや、優雅なマンタが通り過ぎていく。
僕らは、まるで海の中にいるような幻想的な光景に、しばらく言葉を失っていた。
「……なんか、すごいな。子供の頃に来てたら、もっと感動しただろうな」
僕がそう言うと、隣を歩いていた優愛が、ふと立ち止まった。
「私は、今でよかったと思うよ」
「え?」
「だって……」
優愛は、水槽の青い光に照らされた横顔で、僕を見て、柔らかく微笑んだ。
「今、こうして溢喜と二人で来れたから」
その言葉と笑顔に、心臓が大きく脈打つ。
僕は、衝動的に、彼女のすぐそばにあった手に、自分の手を伸ばした。
優愛が、びくりと肩を揺らす。
でも、この前の映画館の時のように、引っ込めようとはしなかった。
僕がおずおずと指を絡めると、彼女は驚いたように僕の顔を一度見て、そして、嬉しそうにはにかみながら、そっとその手を握り返してくれた。
繋がれた手の温かさが、ひんやりとした館内の空気の中で、やけに鮮明に感じられる。
僕らは、そのまま何も言わずに、ゆっくりと歩き出した。
イルカショーを見て笑い合い、ペンギンのコーナーではしゃいで、クラゲが漂う幻想的な水槽の前では、ただ黙って、繋いだ手に少しだけ力を込めた。
あっという間に時間は過ぎて、水族館を出る頃には、空はまた夕焼けに染まり始めていた。
帰り道の電車の中、今度はどちらも眠ることなく、窓の外を流れる景色を並んで眺めていた。
「……リベンジ、成功だな」
僕がぽつりと言うと、優愛は「うん、大成功」と笑った。
「今日は、考えてくれてありがとう。すごく楽しかった」
「ううん。溢喜が楽しんでくれるのが、私も一番嬉しいから」
その言葉が、すとんと胸の奥に落ちてくる。
僕たちはもう、ただの幼馴染じゃない。
家の近くの、いつもの角で足を止める。
「じゃあ、また明日」
僕がそう言うと、優愛は「うん」と頷いて、そして、続けた。
「……あのさ、来週のはとこ会も、頑張ろうね。企画、一緒に」
そうだ。
僕らには、二人で成し遂げるべき、次の約束がある。
「もちろんだよ」
僕が力強く頷くと、彼女は安心したように、今日一番の笑顔を見せてくれた。
その笑顔を見ながら、僕は自然に、次の言葉を口にしていた。
「……はとこ会が終わったら、また、どこか行きたいな。二人で」
僕の言葉に、優愛は一瞬だけ目を丸くして、そして、幸せそうに、こう答えた。
「うん。……約束、だよ」
Hello 你好 こんにちは!Takayuです。
本日、新作の読み切り『夏休み、窓から見ていた名前も知らない君を看病したら、いつの間にか恋に落ちていた。』を投稿しました。
今回は幼馴染とのゼロ距離ラブコメとは少し違う、切ない距離から始まるひと夏の物語です。
楽しんでいただけると思うので、ぜひ読んでみてください!
それでは、また後で。See you later!




