第三十四話 ……好きだ、たぶん
「うん。また、絶対」
優愛の嬉しそうな声が、夕暮れの喧騒に溶けていく。
僕たちは駅に向かって、ゆっくりと歩き出した。
さっきまでの賑やかな雑貨屋の中とは違い、二人きりの静かな時間が戻ってくる。
繋いでいない方の手が、触れ合えそうなほど近くにある。
意識すればするほど、指先が熱くなっていくのを感じた。
駅のホームに並んで立つ。
ちょうど電車が滑り込んできて、プシュー、とドアが開いた。
僕らが乗り込むと、車内は思ったよりも空いていた。
窓際の席に、二人で並んで腰を下ろす。
ガタン、と小さな揺れと共に、電車がゆっくりと動き出した。
窓の外の景色が、少しずつ後ろへと流れていく。
オレンジ色だった空は、もうすっかり深い藍色に変わっていた。
「……」
「……」
どちらも、何も話さない。
でも、気まずいわけじゃなかった。
今日一日を胸の中で反芻するような、心地よい沈黙だった。
僕は窓に映る僕たちの姿を、そっと盗み見る。隣に座る優愛は、少しだけ眠そうに、こくりこくりと小さく頭を揺らしていた。
(疲れたよな、朝からずっと歩き回ってたし)
そう思った、次の瞬間。
ガタン、と電車が大きく揺れた。その拍子に、優愛の頭が、こつん、と僕の肩にもたれかかってきた。
「……っ!」
肩にかかる、柔らかな髪の感触と、シャンプーの甘い香り。
僕の心臓が、今日何度目か分からない最大級の音を立てて跳ね上がる。
身体が石みたいに固まって、息の仕方も忘れそうだった。
優愛は、すぅすぅと穏やかな寝息を立てている。
僕の肩に、自分の体重を完全に預けて。
(……どうすればいいんだ、これ)
起こすべきか?
でも、気持ちよさそうに眠っているのを邪魔するのは忍びない。
でも、このままじゃ、僕の心臓がもたない。
結局、僕は動くこともできず、ただ前を向いたまま、固まり続けることしかできなかった。
肩にかかる重みと温かさが、じわじわと僕の体温を上げていく。
電車の揺れに合わせて、優愛の髪が時々僕の首筋をくすぐる。
そのたびに、全身がびくりと震えた。
あと、何駅だろう。
この時間が、永遠に続いてほしいような、一秒でも早く終わってほしいような、訳の分からない気持ちだった。
やがて、聞き慣れた駅名のアナウンスが流れる。
僕たちの降りる駅だ。
「……優愛、着いたぞ」
僕は、意を決して、できるだけ穏やかな声で呼びかけた。
「ん……」
優愛が、ゆっくりと顔を上げる。
眠そうに目をこすりながら、自分が僕の肩で眠っていたことに気づいたようだった。
「……あ! ご、ごめん! 全然気づかなかった……!」
見る見るうちに顔を真っ赤にして、僕からさっと距離を取る。
「いや、大丈夫。疲れてたんだろ」
僕は、必死に平静を装ってそう言った。
本当は、僕の方が大丈夫じゃなかったけれど。
電車を降り、夜の冷たい空気に触れると、火照った顔が少しだけ落ち着いた。
改札を出て、いつもの帰り道。
さっきまでのドキドキが嘘みたいに、また静かな時間が戻ってくる。
家の近くの、最後の角を曲がる。
「今日は、本当にありがとう。すごく、楽しかった」
優愛が、立ち止まって僕の顔をまっすぐに見つめて言った。
「僕も。誘ってよかった」
素直にそう言うと、彼女は嬉しそうに、そして少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「……じゃあ、また学校で会おうね」
「うん。またね」
手を振って、自分の家に入っていく優愛の背中を見送る。
ドアが閉まる音を聞いてから、僕は自分の家へと向かった。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込む。
右肩に、まだ優愛の温もりが残っているような気がした。
目を閉じると、彼女の寝顔と、甘いシャンプーの香りが鮮やかに蘇る。
(……これは、もう、ダメかもな)
幼馴染、という言葉だけでは、もうこの気持ちに蓋はできない。
僕は天井に向かって、誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
「……好きだ、たぶん」
それは、自分自身の心に初めて、はっきりと認めた瞬間だった。




