第百七十九話 静寂の帰路、ポケットの中の体温
神社の鳥居をくぐり抜け、参道の賑わいが背中側へと遠ざかっていく。
あれほど響いていた太鼓の音や人々の笑い声も、角を一つ曲がるたびに小さくなり、やがて冬の夜特有の静寂が世界を支配し始めた。
空からは、まだチラチラと雪が降り続いている。
街灯に照らされた雪の結晶が、キラキラと光りながらアスファルトに消えていく。
「……静かだね」
優愛がマフラーに顔を埋めたまま、白く染まった道を見つめて呟く。
「さっきまでの騒ぎが嘘みたいだな」
「うん。でも、祭りの後のこういう静けさも、嫌いじゃないな。……溢喜と一緒なら」
優愛が体を寄せてくる。
ダウンジャケットとロングコートが擦れる音が、雪を踏む足音に混じる。
「寒いか?」
「ううん。溢喜とくっついてるから平気」
そう言いながらも、優愛は僕の左腕に自分の右腕を回し、そのまま僕のダウンのポケットに手を入れてきた。
行きと同じスタイル。
けれど、新年を迎えた今、その意味合いは少しだけ違う気がする。
ただ寒さを凌ぐためだけじゃない。
これからもこうして、お互いの体温を分け合いながら歩んでいくんだという、無言の意思表示。
「……溢喜の手、おっきいね」
ポケットの中で、優愛の指が僕の指の間をすり抜け、ぎゅっと恋人繋ぎになる。
「優愛の手は、かじかんでるな」
「だーって、お願い事するのに必死だったんだもん」
「あんなに長く祈ってれば、冷たくもなるよ」
「むぅ。誰のためだと思ってるの」
優愛がポケットの中で僕の手をツネる。痛くはない。むしろ愛おしい。
「……なあ」
「ん?」
「今年最初の帰り道だな」
僕が何気なく言うと、優愛はパッと顔を上げて嬉しそうに笑った。
「そうだね! 今年最初の帰り道で、今年最初の手繋ぎデート!」
「さっき甘酒飲んだから、今年最初の乾杯も済ませたしな」
「おみくじで大吉引いたから、今年最初の運試しもバッチリ!」
指折り数えるように「今年最初」を挙げていく優愛。
新しい年が始まったばかりのこの数時間は、何をするにも「初めて」がつく特別な時間だ。
そこでふと、大事な予定を思い出した。
「そういえば、ひと眠りしたら、すぐに光道家に挨拶に行かなきゃだよな?」
僕の言葉に、優愛もハッとしたように頷いた。
「あ、そうだった……! ってことは、あと数時間後には振袖着なきゃだ」
「振袖?」
僕が聞き返すと、優愛は少し得意げに胸を張った。
「そうだよ。お母さんが張り切って用意してくれたの。……楽しみ?」
上目遣いで聞いてくる彼女の意図は明白だ。
「楽しみにしててね」と言外に言っている。
「……ああ。すごく楽しみだ。絶対似合うと思う」
「ふふ、言ったね? 惚れ直させてあげるから、覚悟しててよね!」
そんな他愛もない会話をしているうちに、見慣れた二軒の家が見えてきた。
僕の家と、優愛の家。
どちらも明かりは消えていて、両親たちはもう夢の中だろう。
「……着いちゃった」
家の前の電柱の下で、優愛が足を止める。
繋いだ手を離したくない。
その気持ちは、僕も同じだった。
「もう一時過ぎだ。早く寝ないと、明日の挨拶に響くぞ」
「分かってるけどぉ……」
優愛は名残惜しそうに、ポケットからゆっくりと手を抜いた。
急に冷たい空気が入り込んできて、掌が寂しさを訴える。
「……じゃあね、溢喜。また数時間後に」
「ああ。おやすみ、優愛」
「おやすみ。……いい初夢を見てね」
優愛は背伸びをして、僕の頬に軽くキスをすると、逃げるように自分の家の玄関へと駆けていった。
ガチャリ、とドアが閉まる音。
静寂が戻った家の前で、僕は頬に残る感触を確かめるように手で触れた。
「……初夢か」
きっと、夢を見るまでもない。
目が覚めれば、また最高の現実が待っているのだから。
僕は軽い足取りで自宅のドアを開け、新しい年最初の夜を締めくくった。




