第百七十六話 五円玉の輝きと、長すぎる祈り
人気の少ない木陰での「秘密の儀式」を終えた僕たちは、少し火照った顔をマフラーで隠しながら、参拝の列に戻った。
一度列を離れてしまったので、また最後尾からのスタートだ。けれど、今の僕たちには、この待ち時間さえも愛おしいイベントのように感じられた。
「……ねえ、溢喜。これ」
優愛がポケットから、何かを取り出して僕の手のひらに乗せた。
街灯の光を受けて鈍く輝く、穴の空いた硬貨。
五円玉だ。しかも、ピカピカに磨かれている。
「五円玉?」
「うん。お賽銭用。『ご縁』がありますようにって」
「用意周到だな」
「当然でしょ。神様にお願いするんだから、失礼のないように一番綺麗な五円玉を選んできたの」
優愛は自分の分も、同じように輝く五円玉を握りしめている。
こういう細かいところまで手を抜かないのが、彼女らしい。
列は牛歩のごとくゆっくりと進んでいく。
寒さは厳しいけれど、繋いだ左手と、右手にある五円玉の温もりが、僕を支えていた。
「次の方、どうぞー」
三十分ほど並んで、ようやく最前列にたどり着いた。
目の前には、巨大な木製の賽銭箱。そして、その奥には御神体が祀られた本殿が厳かに鎮座している。
「行こう、溢喜」
「ああ」
僕たちは並んで賽銭箱の前に立った。
チャリン、と音が重なる。
二枚の五円玉が、吸い込まれるように箱の中へと消えていった。
二礼、二拍手。
パン、パン、と乾いた音が冬の夜空に響く。
僕は目を閉じ、手を合わせた。
(今年も一年、家族や友人が健康で過ごせますように。……そして、優愛とずっと笑っていられますように)
ありきたりなお願いかもしれないけれど、それが一番の願いだ。
数秒ほど祈ってから目を開け、最後に一礼をして横を向く。
「……」
優愛はまだ、祈っていた。
目を固く閉じ、眉間に少し皺を寄せ、手と手を強く合わせている。
その姿は真剣そのもので、鬼気迫るものすら感じさせる。
(……長いな)
十秒、二十秒。
後ろの人が少しざわつき始めても、優愛の祈りは終わらない。
神様に手紙でも朗読しているのだろうか。
「……優愛、そろそろ」
僕が小声で声をかけようとしたその時、ようやく優愛が目を開けた。
ふぅ、と深く息を吐き、満足げに最後の一礼をする。
「お待たせ! 行こっか」
境内の脇へと移動してから、僕は恐る恐る尋ねた。
「なあ、随分と長かったけど……何をお願いしてたんだ?」
「え? 秘密だよ。願い事は口に出すと叶わなくなっちゃうから」
優愛は人差し指を唇に当てて、悪戯っぽく笑う。
「でもまあ、ヒントだけあげるとね……」
彼女は僕の耳元に顔を寄せ、内緒話をするように囁いた。
「『溢喜の周りから、悪い虫がいなくなりますように』とか、『溢喜が私以外を好きになりませんように』とか、『来年も再来年も、その次もずっと一緒にいられますように』とか……あと十個くらいかな?」
「……神様、過労死しないか?」
「大丈夫だよ。五円玉、ピカピカだったから」
優愛はケラケラと笑い、僕の腕にギュッと抱きついてきた。
新年早々、愛が重い。
けれど、その重みこそが、僕にとっては何よりの「福」なのかもしれない。
「さてと! お願いも済んだし、次はお楽しみだね!」
「お楽しみ?」
「おみくじと、甘酒! 運試ししなきゃ!」
優愛が指差した先には、おみくじを振る人々の姿があった。
元旦の運試し。
彼女の愛の重さに耐えられるだけの「大吉」を引けるかどうか、僕の運命が試されようとしていた。




