第百七十五話 雑踏の中の静寂、甘酒よりも甘い口づけ
歓声と拍手が響き渡る中、僕たちは改めて向き合った。
寒さで頬を赤くした優愛が、白い息を吐きながらニコニコと笑っている。
「今年もよろしくね、溢喜!」
「ああ。今年もよろしく、優愛」
優愛がマフラーに顔を埋めたまま、目だけで笑う仕草が可愛い。
周りは「おめでとう」と言い合う人々でごった返しているけれど、僕たちの周りだけ、少しだけ空気が違う気がした。
「……ねえ、溢喜」
優愛が、僕のコートの袖をクイッと引く。
そのまま、人波を避けるように、境内の少し暗がりにある大きな木の陰へと誘導された。
メインの参道からは死角になっている場所だ。
「どうした?」
「……今年最初のお願い、聞いてくれる?」
優愛が上目遣いで、少し潤んだ瞳を向けてくる。
その意味を察せないほど、僕は野暮じゃない。
心臓が、除夜の鐘よりもうるさく鳴り始める。
「なんだよ」
「……ん」
優愛が目を閉じ、顎を少し上げる。
マフラーから覗く唇は、寒さで少し白くなっているけれど、柔らかそうだ。
周囲の喧騒が、ふっと遠のく。
僕は周りを軽く警戒してから――誰も見ていないことを確認し、そっと身を屈めた。
触れたのは、ほんの一瞬。
冷たい空気の中で、そこだけが驚くほど温かかった。
「……へへ、叶った」
目を開けた優愛が、照れくさそうに、でも幸せそうに微笑む。
「今年も、溢喜が大好きだよ」
「……僕もだ」
新年早々、甘酒を飲む前から胸焼けしそうなほど甘い。
でも、これが僕たちの「日常」になっていくのだとしたら、悪くない。むしろ最高だ。
「よし! じゃあ、お参りに行こっか!」
「そうだな。神様に怒られないようにしないとな」
「大丈夫だよ。神様もきっと、『仲良きことは美しきかな』って許してくれるよ」
優愛は悪戯っぽく舌を出すと、僕の手を強く握りしめた。
僕たちは再び人混みの中へ戻り、本殿へと続く列に並び直した。
頭上には冬の夜空。
新しい一年が、これ以上ない最高の形でスタートした。




