第百六十六話 ハンバーグの湯気と、当たり前の隣
「いただきまーす!」
食卓には、母さん特製の大きなハンバーグと、サラダ、そしてカニの入った味噌汁が並んでいた。
大掃除で体を動かした両親と、頭を使ってお腹を空かせた僕たち。
四人で囲む食卓は、湯気と共に温かな活気に満ちていた。
「うん、美味しい! やっぱりお母さんのハンバーグは最高です!」
「あらあら、優愛ちゃんったら口が上手なんだから。でも、たくさん食べてね」
「はい!」
優愛は幸せそうに頬張り、母さんはそれを見て目を細める。
父さんはビールを飲みながら、僕らが広げていた作業の成果について尋ねてきた。
「さっきまで何してたんだ? 随分と静かだったが」
「ああ、今度のスキー旅行の『しおり』を作ってたんだよ。流満ちゃんたち用に」
「へえ、感心だな。どれ、父さんにも見せてみろ」
僕がコタツの上に置いてあった原稿を渡すと、父さんと母さんはそれを覗き込み、「あら可愛い」「よく描けてるじゃないか」と感心した声を上げた。
その様子を横で見ながら、僕はふと、不思議な感覚に包まれていた。
(……なんか、すげー自然だな)
思えば、この冬休みに入ってから――いや、その前のクルーズ旅行からずっと、僕と優愛はほとんどの時間を一緒に過ごしている。
朝起きて、顔を合わせて。
昼間はずっと一緒に行動して。
そして夜も、こうして当たり前のように同じ食卓を囲んでいる。
昔なら「幼馴染だから」という理由だけで納得していたかもしれない。
でも今は違う。「恋人」として、そして「パートナー」として隣にいる。
普通なら、ずっと一緒にいすぎると疲れたり、一人の時間が欲しくなったりするものなのかもしれないけれど。
優愛との時間は、ちっとも疲れない。
むしろ、隣に彼女がいない時間の方が不自然に感じてしまうくらい、僕の生活に溶け込んでいる。
商店街で「ご夫婦」と言われた時のことを思い出す。
この空気感は、確かにそう見間違えられても仕方がないのかもしれない。
「……溢喜? どうしたの、箸止まってるよ?」
隣から優愛に覗き込まれ、僕はハッと我に返った。
彼女の瞳には、何の屈託もない色が宿っている。
「いや……なんでもない。ハンバーグ、美味いなって噛み締めてただけ」
「ふふ、なにそれ。大げさだなぁ」
優愛が笑うと、つられて僕も笑う。両親も笑う。
この「当たり前」が、何よりも愛おしい。
僕はずっと一緒にいるこの心地よさを、ハンバーグと一緒に飲み込んだ。
夕食後、デザートのリンゴまでしっかりご馳走になった優愛は、満足げに立ち上がった。
「ごちそうさまでした! とっても美味しかったです!」
「いつでもいらっしゃい。優愛ちゃんが来ると、溢喜も嬉しそうだしね」
「母さん、余計なこと言わなくていいから」
ニヤニヤする両親に見送られ、僕は優愛を玄関の外まで送った。
外はすっかり夜の闇に包まれ、冷たい風が吹いている。
けれど、家から漏れる光と、夕食の温かさが僕らを包んでいた。
「今日はありがとな。しおり作り、手伝ってくれて」
「ううん、私も楽しかった! 明日、清書してコピーしてくるね」
「悪いな。頼むよ」
優愛は「うん!」と元気よく頷くと、隣の自分の家の方へと体を向けた。
数歩歩いて、ふと立ち止まり、振り返る。
「ねえ、溢喜」
「ん?」
「明日も、明後日も……ずっと一緒だね」
僕が考えていたことを見透かしたように、優愛が言った。
その言葉が、凍てつく夜空の下で、ぽっと灯った明かりのように温かい。
「……ああ。飽きるまで、一緒にいてやるよ」
「飽きないもん! ……じゃあね、おやすみ!」
優愛はベッと舌を出して悪戯っぽく笑うと、パタパタと自分の家へ駆け込んでいった。
ガチャリ、と隣のドアが閉まる音。
静寂が戻った玄関先で、僕は一人、白い息を吐きながら呟いた。
「……おやすみ」
二十九日の夜が終わる。
明日目が覚めても、きっと彼女は当たり前のように僕の隣にいる。
その確信だけで、今日はいい夢が見られそうだった。




