第百五十五話 白いマフラーと、冷たい手のひら
玄関を出ると、張り詰めた冬の空気が肌を刺した。
吐く息は白く、アスファルトの隅には数日前に降った雪が少しだけ残っている。
僕はマフラーを顎まで引き上げ、ポケットに手を突っ込んで早足で歩き出した。
待ち合わせ時間は十時。
現在時刻は九時四十五分。
優愛を待たせるわけにはいかないし、彼氏としては先に着いて、涼しい顔(実際は寒いけど)で待っていたい。
「……よし、一番乗り」
約束の公園が見えてきた。
この公園は、僕たちが小学生の頃から遊び場にしていた場所だ。
ブランコ、滑り台、そして砂場。
冬の午前中ということもあってか、子供たちの姿はなく、静まり返っている。
そう思った、次の瞬間だった。
「――あ」
公園の入り口にある時計塔の下に、見慣れた、けれど見るたびに胸が高鳴るシルエットがあった。
ベージュ色のダッフルコートに、チェック柄のスカート。
そして、首元にはふわふわの白いマフラーをぐるぐると巻いている。
その姿は、冬の景色の中に舞い降りた雪の妖精……というのは言い過ぎかもしれないが、今の僕にはそう見えてしまったのだから仕方がない。
優愛だ。
彼女は僕に背を向けて、寒そうに足踏みをしながら、両手にハァーッと白い息を吹きかけている。
「……早いな」
僕も十五分前行動をしたつもりだったけれど、優愛はさらにその上を行っていたらしい。
僕は足音を忍ばせて彼女に近づいた。
驚かせてやろう、なんて子供っぽい悪戯心が湧いたわけじゃない。ただ、彼女が気づくまでもう少し見ていたかっただけだ。
あと数メートル、というところで、優愛がふと振り返った。
勘がいい。
「あ! 溢喜!」
僕の姿を見つけた瞬間、寒さで少し赤くなっていた彼女の顔が、パァッと華やぐ。
マフラーに埋もれていた口元が緩み、大きな瞳が三日月型に細められる。
その破壊力たるや、冬の寒波も裸足で逃げ出すレベルだ。
「おはよう、優愛。早いね」
「えへへ、溢喜に早く会いたくて、走ってきちゃった」
「……走ってきた割には、手が冷たそうだけど?」
「うっ……それは、その」
図星だったのか、優愛が視線を泳がせる。
きっと、楽しみすぎて早く家を出てしまい、僕が来るのをずっと待っていたのだろう。
そういう健気なところが、たまらなく愛おしい。
「ほら、貸して」
僕は優愛に近づくと、彼女のその冷え切った両手を、自分の両手で包み込んだ。
氷のように冷たい。
でも、その奥にある彼女の体温が、じんわりと伝わってくる。
「……冷たっ」
「でしょ? 溢喜の手、あったかい……」
優愛が嬉しそうに目を細め、僕の手に自分の頬を擦り寄せる。
白いマフラーと、少し赤い頬。
そして、僕の手を握り返してくる力強さ。
「ごめんね、待たせて」
「ううん。今来たところだもん。……嘘だけど」
「知ってるよ」
僕たちは顔を見合わせて、小さく笑った。
公園には冷たい風が吹いているけれど、二人の間にある空気だけは、春のように穏やかで温かかった。
「さてと。温まったところで、行こっか」
「ああ。商店街、混んでるかな」
「混んでるよー。覚悟してね?」
優愛が僕の手を包んでいた手を離し、今度は僕の腕に自分の腕を絡めてきた。
完全な密着体勢。
厚手のコート越しでも、彼女の柔らかさと体温が伝わってくる。
商店街までは徒歩十分。
でも、このペースだと二十分はかかりそうだ。
僕は腕に感じる幸せな重みを噛み締めながら、優愛と共に一歩を踏み出した。




