第百四十九話 冷蔵庫の余り物と、あーんの特権
「よし! 全問正解。溢喜、やればできるじゃん」
赤ペンを持った優愛が、僕のノートに大きく花丸を描いた。
その瞬間、僕は溜めていた息を大きく吐き出し、コタツの天板に突っ伏した。
「……死ぬかと思った」
「大げさだなぁ。でも、約束通り休憩にしてあげる。偉い偉い」
優愛がご褒美とばかりに、僕の頭をわしゃわしゃと撫でる。
子供扱いされている気もするけれど、その手が温かくて心地いいから、文句は言わないでおく。
ふと時計を見ると、時刻はもう十二時半を回っていた。
朝ごはんをしっかり食べたはずなのに、頭を使ったせいか、お腹が空いてくる頃合いだ。
「お昼、どうする? お母さんのメモには『適当に食べて』って書いてあったけど」
「そうだなぁ。出前とるのもあれだし、何か作る?」
「賛成。冷蔵庫の中身、確認しに行こうか」
僕たちは重い腰を上げ、再びキッチンへと向かった。
両親が買い出しに行っているため、冷蔵庫の中は比較的スペースが空いている。
あるのは、朝の残りの冷やご飯、卵、ハム、そして長ネギくらいか。
「……チャーハン一択だね」
「異議なし。私、フライパン振るから、溢喜は材料切ってくれる?」
「了解。料理長」
エプロン姿のままの優愛がコンロの前に立ち、僕がまな板に向かう。
トントントン、とネギを刻む音と、優愛が卵を溶く音がキッチンに重なる。
並んで料理をする。
ただそれだけのことなのに、妙に胸が躍る。
クルーズ船の豪華な食事も良かったけれど、こうやって「生活」をしている感じが、今の僕にはたまらなく愛おしい。
「溢喜、ネギまだー?」
「へいへい、今終わりましたよ」
「じゃあ投入! 強火で行くよ!」
ジャアアッ! という景気のいい音と共に、香ばしい匂いが立ち昇る。
優愛の手際は鮮やかだ。重たい中華鍋を器用に振り、ご飯と具材を宙に舞わせる。
その横顔は真剣そのもので、僕は思わず見惚れて手を止めてしまいそうになる。
「よし、味見。……溢喜、口開けて」
「え?」
「ほら、味見だってば。あーん」
優愛がレンゲに少しだけチャーハンをすくい、フーフーと息を吹きかけてから、僕の口元に差し出してくる。
自然な動作すぎて、断る隙もない。
僕は観念して口を開けた。
「……どう?」
「ん、美味い。塩加減ばっちり」
「よかった! じゃあ完成ね」
優愛は満足げに笑うと、お皿にチャーハンを盛り付け始めた。
出来上がった黄金色の山をテーブルに運び、二人並んで座る。
湯気が立ち上るシンプルなチャーハン。
でも、これが世界で一番贅沢なランチだということを、僕は知っている。
「いただきます」
「召し上がれ」
一口食べると、パラパラとした食感の中に、卵の甘みとハムの塩気が絶妙なバランスで広がった。
美味しい。
そして何より、優愛が僕のために作ってくれたという事実が、最高の調味料だ。
「ねえ、溢喜」
「ん?」
「美味しい?」
「最高。お店出せるレベル」
「ふふ、お世辞が上手になりました。……でも、溢喜が美味しいなら、毎日でも作ってあげたいな」
優愛がさらりと爆弾発言を落とす。
彼女は自分の発言の意味に気づいているのかいないのか、嬉しそうにスプーンを口に運んでいる。
「毎日」って、それってつまり……。
僕はカッと熱くなる顔をチャーハンの湯気で誤魔化しながら、水を一気に飲み干した。
宿題という強敵を倒し、美味しいお昼ごはんも食べた。
外はまだ明るい。
両親が帰ってくる夕方まで、僕たちの「自由時間」はもう少しだけ続きそうだ。




