第百四十一話 僕らの、秘密の寄り道
「僕らの旅は、まだ、終わってない」
そう言って、僕が彼女の手を強く握ると、優愛は、驚いたように目を丸くして、そして、次の瞬間、ぱあっと、花が咲くように笑った。
「……うん!」
僕らは、顔を見合わせたまま、どちらからともなく、走り出した。
まるで、旅の終わりという現実から、逃げるように。
駅へと向かう人の波とは逆の方向へ。
ただ、気の向くままに。
僕らがたどり着いたのは、港の近くにある、海沿いの公園だった。
昼間の賑わいはなく、オレンジ色の夕日が、静かな公園を、優しく照らしている。
僕らは、息を切らせながら、海が一番よく見える、ベンチに、並んで腰を下ろした。
「はぁ……、疲れた……」
「……溢喜が、急に、走るから」
「……優愛だって、楽しそうだったろ」
言い合いながら、笑い合う。
その、子供みたいなやり取りが、たまらなく、心地よかった。
しばらく、僕らは、何も話さなかった。
ただ、遠くで聞こえる船の汽笛と、穏やかな波の音だけが、僕らの間を流れていく。
目の前の海が、ゆっくりと、夕焼けの色に染まっていく。
「……綺麗だね」
優愛が、ぽつりと呟いた。
「ああ……」
僕は、その、あまりにも美しい光景から、目が離せなかった。
夕日に照らされた、彼女の横顔。
その瞳に映る、オレンジ色の、きらきらとした光。
一週間、ずっと隣で見てきたはずなのに。
今、この瞬間の彼女が、今までで一番、綺麗だと思った。
「……なあ、優愛」
「ん?」
「……帰りたくないな」
今度は、僕の方から、だった。
その、あまりにも素直な言葉に、優愛は、驚いたように僕の顔を見た。
そして、嬉しそうに、でも、少しだけ寂しそうに、微笑んだ。
「……うん。私も」
そして、彼女は、そっと、僕の肩に、頭を預けてきた。
肩にかかる、愛おしい重み。
シャンプーの甘い香りが、僕の心を、優しく満たしていく。
「……でも、帰らないとね」
「……ああ」
「また、明日から、いつもの毎日が、始まるね」
「……そうだな」
でも、もう、それは、少しも嫌じゃなかった。
だって、その「いつもの毎日」には、もう、君が、僕の彼女として、隣にいてくれるのだから。
僕らの、長いようで、短かった特別な旅は、こうして、静かに、その幕を下ろそうとしていた。




