第百四十話 また会うための、約束
時計の針が、昼を指す。
僕らの船は、ゆっくりと、でも確実に、見慣れた港へと近づいていた。
窓の外には、僕らが一週間前に見たのと同じ、でも、今は全く違う意味を持って見える、僕らの街の景色が広がっている。
「……行こっか」
「うん」
僕らは、繋いだ手を離し、最後の荷物を持って、部屋を出た。
船内は、下船の準備をする乗客たちの、少しだけ慌ただしい空気と、旅の終わりを惜しむ、名残惜しい雰囲気で、満ちていた。
タラップへと向かう、長い列。
僕らがそこに並んでいると、前から、聞き覚えのある、明るい声がした。
「よう、お二人さん。いい顔してるじゃないか」
瀧川先輩と、その隣で優しく微笑む、杏奈先輩だった。
「先輩!」
「お疲れ様です」
「お前らこそ。……どうだったよ、初めての旅行は」
瀧川先輩が、ニヤリと、悪戯っぽく笑う。
僕と優愛は、どちらからともなく顔を見合わせ、そして、はにかみながら、同時に頷いた。
「……最高、でした」
僕がそう言うと、杏奈先輩が「よかったね」と、自分のことのように、嬉しそうに笑ってくれた。
やがて、列が進み、僕らは、タラップを降りる。
一週間ぶりに踏む、固い地面の感触。
旅が、本当に、終わってしまったんだ。
じわりと、寂しさが、胸に広がる。
「じゃあ、俺たちは、ここで」
港のターミナルで、瀧川先輩と杏奈先輩が、僕らに、ひらひらと手を振った。
「色々、ありがとうございました!」
「また、学校で、話、聞かせてね」
杏奈先輩が、僕らにだけ聞こえるように、そう言って、ウインクをした。
「……はい!」
優愛が、元気よく、でも、少しだけ寂しそうに、そう返す。
先輩カップルは、迎えに来ていたらしい、一台の車に乗り込み、去っていった。
残されたのは、僕と優愛の二人だけ。
僕らは、どちらも、何も言わずに、ただ、遠ざかっていく車のテールランプを、見つめていた。
「……行っちゃったね」
「ああ」
僕らの間を、少しだけ、気まずい沈黙が流れる。
先輩たちがいた時の、賑やかな空気がなくなり、旅の終わりという現実が、急に、重くのしかかってきたようだった。
このまま、僕らの、この特別な時間も、終わってしまうんだろうか。
そう、思った、その時だった。
「……ねえ、溢喜」
優愛が、僕のシャツの裾を、きゅっと、掴んだ。
「ん?」
「……まだ、帰りたくない」
その、あまりにも素直で、あまりにも愛おしい、わがまま。
僕は、もう、どうしようもなくなって、吹き出してしまった。
「ははっ、なんだよ、それ」
「だ、だって……!」
顔を真っ赤にして、僕を見上げてくる、彼女。
そうだ。
僕も、同じ気持ちだ。
僕は、彼女の、シャツの裾を掴んでいた手を、そっと、取り、指を絡めて、強く、握った。
そして、最高の笑顔で、こう言った。
「当たり前だろ。……僕らの旅は、まだ、終わってない」
僕らの、忘れられない一週間の旅。
その、本当に、本当に、最後の時間は。
まだ、もう少しだけ、続きそうだった。




