第十四話 水しぶきの向こう側
海に着くと、天気は快晴。
青く澄んだ空と、キラキラ光る海の波。
潮の香りが鼻腔をくすぐり、海風が心地よく顔を撫でる。
思わず深呼吸をして、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。
こんなに気持ちのいい朝があるなんて、まるで夢のようだ。
「よし、溢喜!釣りに行くぞ!」
優誓おじいちゃんの大きな声が、海辺に響き渡る。
その声の迫力に、自然と背筋が伸びた。
「え、僕だけ……?」
戸惑いながら聞くと、優誓おじいちゃんはにっこり笑い、両手を広げる。
「もちろん、“泳げる”なら泳いでもいいんだぞ」
――しまった、僕は泳げない。焦りが胸をかすめる。
マイクロバスからはとこたちも降り、更衣室で水着に着替えると、波の中へと駆けていく。
砂浜を小走りに行き交うはとこたちの笑い声が、青空に溶け込むように響く。
美褒や優愛も笑顔で飛び込み、太陽に照らされた水しぶきが虹色に輝いた。
僕は岩場に腰を下ろし、釣り竿を手に構える。
足元の岩は潮で湿って滑りやすい。
波に揺れる小さな魚、ゆらめく海藻、光を受けて輝く岩肌――こんなに美しい景色だったのか、と改めて感じる。
「さあ、溢喜!釣りを始めろ!」
おじいちゃんの声に背中を押され、深呼吸して竿を振る。潮風が頬を撫で、耳に波の音が心地よく響く。波が岩に打ち付ける低い音が、胸の奥にまで響く。竿先に集中しながらも、周囲の景色が心を穏やかにしてくれる。
そんなとき、後ろから元気な声が聞こえた。
「溢喜ー、釣れてる?」
振り向くと、笑顔の優愛が岩場に立っていた。
水着姿で、光を受けた髪が波間の光と同じ色に輝く。
思わず心臓が跳ねる。
幼馴染としてだけでなく、一人の女の子として見てしまっている自分に気づき、焦りが胸を刺す。
「え、ちょ、優愛、大丈夫……?」
岩場は濡れていて滑りやすい。優愛は少し身をかがめ、波打ち際に近づいていた。足元の岩が不安定で、ひとつ間違えば海に落ちてしまいそうだ。
――その瞬間。
大きな波が岩に打ち寄せ、ジャボーンッ!と水しぶきが飛んだ。
「ひゃっ!」
優愛の声が響き、体が揺れる。足元の岩に力を入れ直すが、滑りそうになる。危ない!一歩でも踏み外せば、波にさらわれてしまう。
「危ないっ!」
思わず声を出し、反射的に腕を伸ばす。
優愛の腰に手をかけ、ぎゅっと支える。
腕に力が入り、心臓がバクバクと音を立てる。
潮の冷たさが腕に伝わり、波の塩の匂いと風の心地よさが混ざって、全身がビリビリする。
優愛はハッと目を見開き、僕の手を握り返す。
「ご、ごめん……びっくりさせちゃって...」
少し赤くなった顔に、僕は目を逸らす。
胸の奥が熱くなり、ドキドキが止まらない。
「...いや、優愛が無事でよかったよ、ホントに...」
少し震える声で答え、優愛を岩場の安全な位置まで導く。
波は落ち着き、海風が優しく吹き抜ける中で、僕たちは肩で息をつく。
心臓はまだ早鐘のように鳴り続けている。
危うく起きた“ピンチ”で、心臓も頭もいっぱいだ。
けれど、優愛と触れ合った瞬間、二人の距離はぐっと近づいた気がした。
今までの幼馴染としての関係だけではない、特別な感覚――胸がドキドキと高鳴る。
――まさか、こんな朝から、こんなドキドキ体験をするなんて思わなかった。




