第百三十四話 甘い記憶と、苦いソース
午後の、甘くて穏やかな時間の余韻に浸ったまま、僕らは、ディナーのために、レストランへと向かった。
クリスマス一色に飾られた船内は、どこを歩いても、楽しそうな乗客たちの笑顔で溢れている。
レストランの中は、いつも以上に華やかで、生演奏のクリスマスソングが静かに流れていた。
僕らが案内されたのは、窓際のテーブル席。
窓の外には、船のイルミネーションが、夜の海に反射して、キラキラと輝いていた。
運ばれてくる、クリスマスのための特別なコース料理。
その、あまりにも美しい一皿目に、僕らは、どちらからともなく、顔を見合わせた。
「……食べるの、もったいないね」
「ああ。……写真、撮っとくか?」
「うん!」
スマホを取り出し、料理の写真を撮る優愛。その横顔を見ながら、僕は、ふと、昔の出来事を思い出した。
「なあ、優愛」
「ん?」
「覚えてるか? 中学の時、初めて二人でファミレスに行った日のこと」
「……ああ、あったね! 懐かしい!」
あの日、僕らは、部活の帰りに、初めて二人だけで、ファミレスに寄ったんだ。
周りはカップルだらけで、僕らは、どうしていいか分からず、ただ黙々と、ハンバーグを食べていた。
「あの時さ、優愛、ハンバーグのソース、口の周りに、めっちゃつけてたよな」
「えっ、嘘!?」
「ほんとほんと。『お子様みたいだな』って、心の中で笑ってた」
「もー! なんでその時、言ってくれないのよ!」
顔を真っ赤にして、僕の腕をぽかぽかと叩く優愛。
その反応が、あの頃と全く同じで、僕は、たまらなく愛おしくなった。
「ごめんごめん。……でも、なんか、可愛かったから」
僕の、不意打ちの一言。
優愛の動きが、ぴたりと止まる。そして、みるみるうちに、顔が、耳まで、真っ赤に染まっていく。
「……ずるいよ、溢喜」
「そうか?」
「うん……。そういうこと、昔は、絶対言わなかったのに」
拗ねたように、唇を尖らせる彼女。
そうだ。昔の僕なら、絶対に言えなかった。
でも、今は違う。
僕が、何かを言いかけた、その時だった。
メインディッシュの、ローストチキンが運ばれてきた。
その皿の端には、濃厚な、チョコレートソースが添えられている。
「うわ、美味しそう……!」
優愛が、目を輝かせて、チキンにナイフを入れる。
そして、その一切れを、チョコレートソースに、たっぷりとつけて、口に運んだ。
「……ん、おいし……っ!?」
次の瞬間。
彼女の顔が、さっと、青ざめた。
「ど、どうした!?」
「……に、が……っ!」
どうやら、そのソースは、カカオ99%の、超ビターな、大人のためのソースだったらしい。
甘いものが大好きな、お子様舌の彼女には、あまりにも、刺激が強すぎた。
「み、水……!」
僕は、慌てて、ウェイターさんが置いてくれた、水のグラスを、彼女に差し出す。
彼女は、それを一気に飲み干すと、「はぁ……」と、涙目で、テーブルに突っ伏してしまった。
「だ、大丈夫か……?」
「……うん。……びっくりした……」
その、あまりにも子供っぽくて、あまりにも無防備な姿。
周りの、お洒落なディナーの雰囲気に、全くそぐわない、僕だけが知っている、彼女の姿。
僕は、もう、どうしようもなくなって、吹き出してしまった。
「あははは!」
「な、何がおかしいのよ!」
「いや、ごめん……。でも、なんか、優愛は、やっぱり、優愛だなって」
僕の言葉に、彼女は、顔を上げた。
その目には、まだ涙が浮かんでいたけれど、その唇は、確かに、笑っていた。
僕らの、聖なる夜のディナー。
それは、お洒落で、ロマンチックなだけじゃない。
何年経っても変わらない、君の、そして僕の、最高の笑顔に満ちた、世界で一番、温かい時間だった。




