第百二十七話 聖なる夜の、ディナー
どれくらいの時間が、経っただろうか。
僕の肩の上で、優愛の、規則正しい寝息が聞こえ始めた頃。
部屋の電話が、控えめな電子音を鳴らした。
『――まもなく、ディナーの時間となります。ドレスコードは、スマートカジュアルでございます』
僕は、優愛を起こさないように、そっと体をずらし、彼女の頭を、ゆっくりと枕の上へと導いた。
そして、その愛おしい寝顔に、小さな声で、囁きかける。
「……優愛。起きれるか? ご飯の時間だって」
「ん……」
ゆっくりと開かれた、潤んだ瞳。
僕の顔を認めると、彼女は、幸せそうに、ふわりと、微笑んだ。
その夜のディナーは、クリスマスイブだけの、特別なコース料理だった。
僕も、優愛に選んでもらったネイビーのニットに着替え、優愛も、少しだけ上品なワンピースに着替える。
二人で並んで鏡の前に立つと、なんだか、本当に、大人のカップルになったみたいで、気恥ずかしかった。
レストランの中は、いつもよりさらに華やかな、クリスマスの飾り付けで彩られていた。
僕らが案内されたのは、窓際のテーブル席。
窓の外には、船のイルミネーションが、夜の海に反射して、キラキラと輝いている。
「……綺麗だね」
「ああ……」
運ばれてくる、見たこともないくらい美しい料理。
ぎこちない手つきで、ナイフとフォークを動かす。
その一つ一つの時間が、今は全部、宝物みたいに思えた。
「……今日のケーキ、美味しかったね」
優愛が、ぽつりと呟いた。
「ああ。優愛と、一緒に作ったからな」
「ううん。溢喜が、手伝ってくれたからだよ」
そう言って、彼女は、楽しそうに微笑む。
その笑顔を見ていると、僕の胸が温かくなった、その時だった。
テーブルの下で、僕の足に、彼女の靴のつま先が、こつん、と優しく触れた。
(……!)
僕が、驚いて彼女の顔を見ると、彼女は、何も言わずに、ただ、僕の顔を見て、にこりと、悪戯っぽく微笑んでいる。
そして、離すことなく、そっと、僕の足に、自分の足を、寄り添わせてきた。
(……やばい。完全に、遊ばれてる)
でも、それが、どうしようもなく、嬉しい。
僕は、テーブルの下で、彼女の足に、そっと、自分の足を、重ね返した。
僕らは、それから、たくさんの話をした。
子供の頃の、くだらない思い出。
中学の時の、少しだけ恥ずかしい話。
そして、高校に入ってからの、目まぐるしい日々のこと。
今まで、何年も、一番近くにいたはずなのに。
知らないことが、まだ、こんなにたくさんあった。
その一つ一つを知るたびに、僕の中で、彼女への「好き」という気持ちが、もっと、もっと、大きくなっていくのを感じた。
食事が終わりに近づいた頃。
デザートとして運ばれてきたのは、炎に包まれた、青いアイスクリームだった。
『クリスマス・イブの奇跡』と名付けられた、この船の名物デザートらしい。
ウェイターさんが、僕らの目の前で、そっとリキュールをかけると、青い炎が、ふわりと立ち上る。
「「わぁ……!」」
僕らの声が、綺麗に重なった。
「……なあ、優愛」
「ん?」
「来年も、その次も、ずっと……。こうやって、一緒に、クリスマス、過ごしたいな」
僕の、ほとんど、プロポーズみたいな言葉。
優愛は、一瞬きょとんとした後、すぐにその意味を察したようだった。
みるみるうちに、彼女の頬が、青い炎に照らされて、赤く染まっていく。
そして、彼女は、最高の笑顔で、こう言った。
「……当たり前でしょ」
その一言だけで、十分だった。
僕らの、聖なる夜のディナーは、僕の人生で、一番、甘くて、幸せな時間として、僕の記憶に、確かに、刻まれた。




