第百二十五話 甘いクリームと、君の指先
「――では、皆さん、準備はよろしいでしょうか? レッツ・クッキング!」
パティシエ姿の、陽気なインストラクターの声。
その声で、僕と優愛は、はっと我に返った。
僕らは、どちらからともなく、顔を見合わせたまま、こくりと頷き合うと、それぞれの調理台に向き直った。
今日の課題は、イチゴのショートケーキ。
スポンジはすでに用意されていて、僕らがやるのは、生クリームを泡立てて、デコレーションをする、という一番楽しい部分だけらしい。
「まずは、このボウルに入った生クリームを、泡立てていきます! 飛び散らないように、気をつけてくださいね!」
僕は、ハンドミキサーのスイッチを入れる。
ウィィィン、と軽快な音がして、クリームがゆっくりと混ざり始めた。
(……なんだ、簡単じゃないか)
そう思った、次の瞬間だった。
僕が、少しだけボウルを傾けすぎたのか、白いクリームが、ぴしゃり、と、僕の顔に飛び散った。
「ぶっ……!」
「あははは! ちょっと、溢喜、何やってるの!」
隣で、優愛が、お腹を抱えて笑い転げている。
その、あまりにも楽しそうな笑顔に、僕の、少しだけ恥ずかしかった気持ちも、どこかへ吹き飛んでしまった。
「……笑いすぎだろ」
「だ、だって……ふふっ、顔、すごいことになってるよ」
僕が、自分の頬についたクリームを、指で拭おうとすると。
「あ、待って」
優愛が、僕の手を、そっと、止めた。
そして、彼女は、自分の指で、僕の頬のクリームを、すくい取る。
その、ひんやりとした、柔らかな感触に、僕の心臓が、また、大きく跳ねた。
「……」
「……」
至近距離で、見つめ合う、僕ら。
周りの喧騒が、また、遠くに聞こえる。
彼女の、大きな瞳に、僕の、間抜けな顔が、映っていた。
「……ん」
優愛は、僕の頬からすくい取ったクリームを、こともなげに、ぺろり、と、自分の口に運んだ。
そして、悪戯っぽく、にこりと、微笑んだ。
「……うん。甘くて、おいしい」
その、あまりにも不意打ちで、あまりにも大胆で、そして、あまりにも可愛いすぎる行動に。
僕の思考は、完全に、フリーズした。
顔が、熱い。
心臓が、うるさい。
(……ああ、もう、ダメだ)
僕は、もう、何も考えられなかった。
気づけば、僕は、自分の指で、今度は、優愛の唇の端についていた、小さな、小さなクリームのかけらを、すくい取っていた。
そして、彼女が、僕にしたのと、全く同じように。
その指を、自分の口へと、運んでいた。
「……!」
今度は、優愛が、息を呑んで、固まる番だった。
「……ほんとだ。甘くて、おいしいな」
僕が、精一杯、平静を装って、にやりと笑って見せると。
彼女は、顔を真っ赤にして、僕の胸を、ぽかぽかと、何度も、叩いた。
「……ばか! へんたい! 溢喜の、いじわる……!」
その、涙目になりながら、本気で照れている姿が、たまらなく愛おしくて。
僕はもう、どうしようもないくらいの幸福感で、胸がいっぱいだった。
僕らの、初めてのクリスマスケーキ作りは、どうやら、ケーキが完成するよりも先に、お互いの、甘いクリームの味を確かめ合う、最高の時間になってしまったようだった。




