第百二十二話 雨音に、君の声
「……ん」
僕の肩の上で、優愛が、小さく身じろぎをした。
どれくらいの時間が経っただろうか。僕も、いつの間にか、うとうとしていたらしい。
ゆっくりと顔を上げた彼女は、自分が僕の肩で眠っていたことに気づき、はっと目を見開いた。
「ご、ごめん! 私、また……!」
「いいって。気持ちよさそうに、寝てたな」
僕が、少しだけ意地悪くそう言うと、彼女の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
窓の外を見ると、雨足は少し弱まっていたが、空は変わらず、灰色の雲に覆われていた。まだ、夕方と呼ぶには、少し早い時間。
「……どうする? もう少し、ここにいるか?」
「ううん。……部屋、戻ろっか」
僕らは、静まり返った図書館を後にして、自分たちの部屋へと戻った。
部屋の窓から見える、雨に煙る海も、どこか幻想的で、悪くない。
「……映画でも、見るか?」
部屋には、たくさんの映画が見られるVODのサービスがついていた。
「うん、見る!」
僕らは、ベッドの上に並んで腰を下ろし、クッションを背もたれにして、小さなタブレットの画面を覗き込んだ。
自然と、肩が触れ合う距離。
その温かさが、僕の心臓を、また、優しく締め付ける。
僕らが選んだのは、ハラハラドキドキのアクション映画だった。
派手な銃撃戦、手に汗握るカーチェイス。
面白い。面白い、はずなのに。
僕の意識は、全部、すぐ隣にいる彼女に、持っていかれていた。
暗い部屋の中、画面の光に照らされる、彼女の真剣な横顔。
時々、驚いて、僕の腕に、きゅっと、しがみついてくる、小さな手。
その一つ一つが、どんなアクションシーンよりも、僕の心を、激しく揺さぶった。
映画がクライマックスに差し掛かった、その時だった。
主人公が、ヒロインに、愛を告白するシーン。
『――君がいない世界なんて、もう、考えられない』
その、あまりにもストレートなセリフに、僕の心臓が、大きく、跳ねた。
ちらりと、隣の優愛を盗み見る。
彼女もまた、僕と同じように、画面ではなく、僕のことを、じっと、見つめていた。
潤んだ、大きな瞳。
その瞳が、何を語っているのか。
僕にはもう、分かりすぎるくらい、分かっていた。
僕は、そっと、リモコンに手を伸ばし、映画を、一時停止した。
部屋の中に、静寂が戻る。
窓の外の、優しい雨音だけが、僕らの鼓動を、隠すように、響いていた。
「……優愛」
「……うん」
もう、言葉は、いらなかった。
僕らは、どちらからともなく、ゆっくりと、顔を近づけていく。
そして、どちらからともなく、そっと、目を閉じた。
唇が、触れ合う、ほんの数センチ手前。
僕は、一度だけ、目を開けた。
目の前には、僕の全てを受け入れるように、安らかな顔で、目を閉じている、愛おしい彼女の顔。
僕は、もう、ためらわなかった。




