第百二十一話 雨音と、君の鼓動
「私の、勝ちだね。溢喜」
そう言って、誇らしげに笑う優愛。
僕は、そのあまりにも眩しい笑顔に、「……降参です」と、両手を上げるしかなかった。
悔しい。すごく悔しいけど、彼女がこんなにも楽しそうなら、まあ、いいか。
「そろそろ、行くか」
「うん!」
ゲームセンターを出た僕らは、次に、船の中央にある、大きな図書館へと向かった。
さっきまでの賑やかな電子音の世界から一転、そこは、しんと静まり返った、落ち着いた空間だった。
高い天井まで届く、壁一面の本棚。
革張りのソファが、いくつも、ゆったりと置かれている。
「……すごい」
「ああ……」
僕らは、どちらからともなく、声を潜めた。
ここだけ、時間の流れが、違うみたいだ。
僕らは、それぞれ興味のある本を手に取り、一番奥にある、海が見える大きな窓際のソファに、並んで腰を下ろした。
窓の外では、雨が、静かに、海面を叩いている。
その、優しい雨音だけが、BGMのように、僕らの間を流れていた。
僕が手に取ったのは、写真がたくさん載っている、世界の絶景についての本。
優愛が手に取ったのは、難しそうな、分厚い恋愛小説だった。
時々、ページをめくる音。
時々、どちらからともなく、漏れる、小さいため息。
僕が、オーロラの写真に見とれていると、不意に、隣の優愛の肩が、こくり、と小さく揺れた。
ちらりと、横顔を盗み見る。
彼女は、本を開いたまま、僕の肩に、もたれかかる寸前で、一生懸命、睡魔と戦っているようだった。
(……眠いのか)
ゲームセンターで、はしゃぎすぎたんだろう。
その、無防備な姿が、たまらなく愛おしい。
僕は、そっと、読んでいた本を閉じた。
そして、彼女が、もたれかかりやすいように、ほんの少しだけ、自分の体を、彼女の方へと、傾けた。
こてん、と。
小さな重みが、僕の肩にかかる。
規則正しい、穏やかな寝息。
甘いシャンプーの香りが、ふわりと、僕の鼻をくすぶった。
僕は、動くこともできず、ただ、その温もりを感じていた。
窓の外の、雨音。
僕の肩にかかる、彼女の重み。
そして、僕の耳にだけ聞こえる、彼女の、小さな寝息。
それらが、全部、混ざり合って、僕の心を、どうしようもないくらいの、穏やかで、幸せな気持ちで、満たしていく。
僕の知らない世界に夢中になっている、彼女。
その横顔が、たまらなく愛おしくて、そして、ほんの少しだけ、妬ましい。
数時間前の、ゲームセンターでの僕の気持ちを、思い出す。
でも、今は、もう、妬ましくなんてない。
だって、その彼女が、今、僕の隣で、僕の肩を、世界で一番、安心できる場所だと信じて、眠っているのだから。
僕は、そっと、空いている方の手で、彼女の肩にかかったブランケットを、かけ直してあげた。
そして、僕も、ゆっくりと、目を閉じる。
雨の日の、二人だけの、図書館。
そこは、世界で一番、静かで、そして、世界で一番、温かい空間だった。
(……もう少しだけ、このままで)
僕は、彼女を起こさないように、そっと、息を殺した。
この、幸せな時間が、一秒でも長く続くようにと、願いながら。
僕らの、忘れられない四日目は、まだ、始まったばかりだった。




