第百十九話 へたくそなヒーロー
ウィィィン……、ガシャン。
無情にも、クレーンは、犬のぬいぐるみの、ほんの数センチ横の、何もない空間を掴んだ。
「……あ」
後ろから、優愛の、小さな、残念そうな声が聞こえる。
くそっ、緊張で、手が震えた。
「ま、まあ、一回目は、こんなもんだろ。次だ、次」
僕は、自分に言い聞かせるようにそう言って、もう一度、コインを投入した。
今度こそ。
ぬいぐるみの、ど真ん中を……!
ウィィィン……、ガシャン。
クレーンは、今度は、ぬいぐるみの頭を、そっと、撫でるようにして、通り過ぎていった。
「……ぷっ」
今度は、はっきりと、優愛が吹き出すのが聞こえた。
「な、なんだよ!」
「ううん、ごめん。……なんか、溢喜、へたくそすぎて、可愛いなって」
「可愛くねえよ!」
顔が、熱い。
恥ずかしさと、悔しさで、もう、どうにかなりそうだった。
でも、引くに引けない。
「……もう一回だ!」
三回目、四回目、五回目……。
僕のポケットの中のコインは、あっという間に、その姿を消していった。
そして、目の前のガラスケースの中の、犬のぬいぐるみは、僕の挑戦をあざ笑うかのように、ぴくりとも、動いていない。
「……もう、いいよ、溢喜」
僕の背後で、優愛が、申し訳なさそうな声で言った。
「そんなに、無理しなくても。気持ちだけで、嬉しいから」
その、あまりにも優しい言葉が、今の僕には、何よりも、突き刺さった。
情けない。
好きな女の子一人のために、ぬいぐるみ一つ、取ってやれないなんて。
僕が、うなだれて、その場を離れようとした、その時だった。
「――貸して」
不意に、優愛が、僕の隣に立った。
そして、僕がもう一枚だけ持っていた、最後のコインを、ひょいと、僕の手から取り上げた。
「え……?」
「私が、やる」
そう言って、彼女は、慣れた手つきで、コインを投入した。
そして、迷うことなく、レバーを操作し始める。
その横顔は、エアホッケーの時と同じ、真剣な、勝負師の顔だ。
ウィィィン……。
クレーンが、僕が狙っていたのとは、全く違う角度から、ぬいぐるみへと近づいていく。
そして、ぬいぐるみの胴体ではなく、その下に敷かれていた、小さなタグを、アームの爪先で、器用に、ひっかけた。
ガタンッ!
嘘だろ。
今までびくともしなかった犬のぬいぐるみが、いとも簡単に、景品の排出口へと、転がり落ちてきた。
「……」
僕も、周りで見ていた他の乗客たちも、一瞬、何が起こったのか分からず、呆然としていた。
やがて、誰からともなく、ぱらぱらと、拍手が起こる。
「……ほら、取れたよ」
優愛は、取り出し口からぬいぐるみを取り出すと、少しだけ得意げに、でも、はにかみながら、僕に、それを差し出した。
「……お前、なんで……」
「私、昔から、くじ運だけはいいって、言ったでしょ? UFOキャッチャーも、その一種だよ」
そう言って、悪戯っぽく笑う彼女。
僕は、もう、何も言えなかった。
格好つけるはずが、また、彼女に、助けられてしまった。
でも、腕の中に抱いた、犬のぬいぐるみの、その、気の抜けた、優しい顔。
それは、まるで、今の、情けない僕自身のようだった。
僕は、そのぬいぐるみの顔と、隣で笑う優愛の顔を、交互に見比べて、そして、つられて、笑ってしまった。
ヒーローには、なれなかったけど。
まあ、いいか。
君が、こんなにも楽しそうに笑ってくれるなら。
僕は、世界で一番、へたくそなヒーローのままでも、いいのかもしれない。




