第百十八話 ゲーセンと、君の横顔
テーブルの下で、そっと重ねられた、優愛の手。
その温もりを感じながら、僕らは、今までで一番、甘くて、幸せな朝食の時間を終えた。
レストランを出ると、船の窓を、ぱらぱらと、雨粒が叩いていた。
「……雨だ」
「ほんとだ……」
空は、厚い灰色の雲に覆われている。
楽しみにしていたデッキでの日光浴も、プールも、今日はお預けらしい。
「どうする? 今日」
僕が尋ねると、優愛は、少しもがっかりした様子を見せず、僕の手をきゅっと握った。
「大丈夫だよ。この船、中に映画館も、ゲームセンターも、図書館もあるんだって。探検してみない?」
「へえ、すごいな!」
僕らは、まず、船の最下層にある、ゲームセンターへと向かった。
豪華な船内とは少し不釣り合いな、薄暗い空間に、電子音が賑やかに鳴り響いている。
その、どこか懐かしい雰囲気に、僕らの心も、自然と浮き足立った。
「うわ、エアホッケーあるじゃん! やろうぜ、優愛!」
「いいよ。でも、手加減しないからね?」
「望むところだ!」
僕らは、子供の頃に戻ったみたいに、一つの台に向かい合った。
カン、カン、とパックを打ち合う、乾いた音。
最初は僕が優勢だったが、次第に慣れてきた優愛の、鋭いスマッシュが僕のゴールに突き刺さる。
「やった!」
「くそー、もう一回!」
点が入るたびに、大げさにはしゃいだり、本気で悔しがったり。
その、あまりにも無邪気な優愛の笑顔を見ているだけで、僕の心は、どうしようもないくらいの幸福感で、満たされていった。
白熱した戦いの後、僕らは、クレーンゲームが並ぶエリアへと足を向けた。
ガラスケースの中には、可愛らしい動物のぬいぐるみや、人気キャラクターのフィギュアが、所狭しと並べられている。
「あ、見て溢喜! あの犬のぬいぐるみ、可愛い!」
優愛が指差したのは、大きな、くたっとした犬のぬいぐるみだった。
確かに、可愛い。
「……欲しいのか?」
僕がそう言うと、彼女は「ううん、別に」と首を横に振った。
でも、その目は、ガラスケースの中のぬいぐるみに、釘付けだった。
(……やばい。こういう時の、僕の見せ場じゃないのか、これ)
希望の「男の見せ場ってもんがあるんだよ!」という、いつかの言葉が、頭をよぎる。
よし、やるしかない。
「ちょっと、待ってろ」
僕は、両替機にお札を入れると、コインをジャラジャラとポケットに詰め込み、その台の前に立った。
「え、溢喜、本気?」
「まあ、見てて。僕、こういうの、地味に得意なんだよ」
それは、全くの嘘だった。
中学の時、希望と何度かやったことがあるが、取れたためしがない。
でも、今、僕の背後には、キラキラした目で僕を見つめる、世界で一番、大切な女の子がいる。
ここで、格好悪いところなんて、見せられるはずがない。
僕は、大きく、深呼吸をした。
そして、ぎこちない手つきで、クレーンを操作し始めた。
僕の、人生を賭けた(大げさだ)、プライドを賭けた戦いが、今、始まろうとしていた。




