第百十三話 君の涙、僕の決意
夜のマーケットは、昼間の賑わいが嘘のように、静まり返っていた。
ほとんどの店はシャッターを下ろし、オレンジ色の裸電球だけが、石畳の道をぼんやりと照らしている。
「杏奈せんぱーい! いませんかー!」
僕の声が、静かな路地に虚しく響く。
返事はない。
焦りだけが、じりじりと胸を焼いていく。船の出航時間まで、もう一時間を切っていた。
(……どこに行ったんだよ)
僕は、昼間、優愛へのプレゼントを探して歩き回った道を、もう一度、必死に辿り直した。
アクセサリーの露店、ガラス細工の店、そして、あの『Star Sand Jewelry』。
店の前まで行ってみたが、もちろん、もう固く扉は閉ざされていた。
その時だった。
ピコン、と、ポケットの中のスマホが短く鳴った。
優愛からのメッセージだった。
『ビーチの方は、いなかった。今から港に向かう』
そっちもダメか……!
僕は『了解。僕も港に向かう』とだけ返信し、マーケットを駆け抜けた。
港の、時計台の下。
そこには、すでに、息を切らせた優愛と、青い顔をした瀧川先輩が立っていた。
「……どうだった」
「ダメでした。こっちも、どこにも……」
重い空気が、僕らの間を流れる。
時計台の針が、無情にも、時を刻んでいた。出航まで、あと三十分。
「……俺のせいだ」
瀧川先輩が、絞り出すような声で言った。
「俺が、あんなくだらないことで、意地を張らなければ……。あいつ、方向音痴なんだ。一人で、夜道で、迷ってるのかもしれない……」
自分を責め、今にも泣き出しそうな先輩の姿。
僕には、かける言葉が見つからなかった。
「……まだ、時間はあるよ」
その、重い沈黙を破ったのは、優愛だった。
彼女は、涙をこらえながらも、凛とした、強い声で言った。
「諦めちゃ、だめ。もう一度、探そう。今度は、三人で。……溢喜、どう思う?」
僕に、意見を求めてきた。
そうだ。僕は、ただの付き添いじゃない。君の、パートナーなんだ。
僕は、一度、大きく息を吸った。
そして、パニックになりかけている頭を、必死で回転させる。
(……もし、僕が杏奈先輩だったら)
彼氏とケンカして、一人になって、知らない土地で、道に迷ってしまったら。
どこに行く?
暗くて、怖い場所には、行かないはずだ。
きっと、明るくて、人がいて、安心できる場所に……。
「……先輩」
「……なんだ」
「杏奈先輩って、星、好きですか?」
「え……? ああ、好きだけど……」
「……分かりました。一つだけ、心当たりがあります」
僕は、二人の顔を見て、言った。
「先輩は、港の周り、特に明るい大通り沿いを探してください。優愛は、僕と一緒に来てほしい」
「え……?」
「時間がない。行こう!」
僕は、優愛の手を強く引き、走り出した。
目指すのは、昼間、僕らがレンタサイクルで偶然見つけた、島の、一番高い場所。
夜景が綺麗に見えるという、小さな、展望台。
頼む、いてくれ……!
僕は、祈るような気持ちで、暗い坂道を、全力で、駆け上がった。




