第百五話 仮面の夜に、君とワルツを
プールでの、少しだけ恥ずかしくて、でも最高に甘いハプニングの後。
僕らは、一度部屋に戻り、夜のパーティーのための準備をしていた。
旅行二日目の夜。そのメインイベントは、船上で行われる仮面 舞踏会だった。
「……どう、かな? 変じゃない?」
バスルームから出てきた優愛の姿に、僕は、息を呑んだ。
昼間の、元気なワンピースタイプの水着姿とは全く違う。
濃紺の、星空みたいな色の、上品なドレス。いつもは下ろしていることが多い髪は、綺麗にアップにされ、きらきらと光る小さな髪飾りが、アクセントになっている。
息を呑むほど、大人びて、美しい姿。
「……いや」
僕は、かろうじて、それだけを絞り出した。
「すごく、綺麗だ」
僕の、あまりにも素直な言葉に、彼女は「ありがと」と、今までで一番、嬉そうにはにかんだ。
僕も、クローゼットの中から、この日のために用意されていた、タキシードに着替える。
鏡に映る自分は、なんだか見慣れない、借り物みたいな姿で、そわそわしてしまう。
「……溢喜も、かっこいいよ」
「……そうか?」
「うん。すごく」
僕らは、顔を見合わせて、どちらからともなく、笑ってしまった。
会場となっている、船のメインホール。
そこは、昼間とは全く違う、幻想的な空間に変わっていた。
シャンデリアの柔らかな光の下、色とりどりのドレスやタキシードに身を包んだ乗客たちが、楽しそうに談笑している。
入り口で、僕らは、シンプルなデザインの、黒い仮面を渡された。
「……すごいね」
「ああ」
仮面を目元にあてがうと、不思議と、いつもの自分じゃない、別の人格になったような、大胆な気持ちが湧いてくる。
やがて、会場に、優雅なワルツの曲が流れ始めた。
周りのカップルたちが、次々と、ダンスフロアへと進み出ていく。
「……」
僕の隣で、優愛が、どこか羨ましそうな、キラキラした目で、その光景を見つめている。
その横顔を見て、僕の心は、決まった。
(……やるしかないだろ、男として)
僕は、一度、大きく深呼吸をした。
そして、練習したこともない、ぎこちない動きで、彼女の前に、そっと、片膝をついた。
「え……!?」
驚いて、目を見開く優愛。
僕は、彼女の手を取り、できるだけ、紳-士的に、言った。
「……僕と、踊っていただけませんか?」
僕の、あまりにも不慣れで、あまりにも真剣な誘い。
優愛は、一瞬きょとんとした後、顔を真っ赤にしながらも、その手で、口元を隠し、そして、最高の笑顔で、こう言った。
「……はい、喜んで」
僕らは、手を取り合って、フロアの中央へと進み出る。
ワルツのステップなんて、知らない。
でも、今は、そんなこと、どうでもよかった。
ただ、彼女の目をまっすぐに見つめて、その体を、そっと、エスコートする。
僕のリードに合わせて、くるり、と優雅に回る、彼女。
周りの景色も、音楽も、全てが遠くに聞こえる。
この、仮面に隠された、二人だけの世界。
僕らは、ただ、互いの温もりだけを感じながら、いつまでも、いつまでも、踊り続けていた。




