第百四話 プールサイドの、僕の女神
先輩カップルとの、賑やかで、少しだけ気恥ずかしい朝食の後。
「で、この後どうするんだ? 俺たちは、プールにでも行こうかと思ってるけど」
瀧川先輩の言葉に、僕と優愛は顔を見合わせた。
(……まずい。僕、泳げないのに)
今さら、そんなこと言えるはずもない。
結局、僕らは先輩カップルに誘われるがまま、一度部屋に戻り、プールに行くための準備をすることになった。
船の最上階にある、オープンエアのプールサイド。
すでに、たくさんの乗客が、夏の太陽を満喫していた。
僕らが少し遅れて到着すると、デッキチェアに寝そべっていた瀧川先輩が、ひらひらと手を振ってきた。
「よう、遅かったな」
「すみません……」
僕がそう言って、隣に視線を移した瞬間、息を呑んだ。
瀧川先輩の隣には、白いビキニの上に、薄いレースのパレオを巻いただけの、杏奈先輩がいた。その、あまりにも大人びて、完璧なスタイルに、僕は目のやり場に困ってしまう。
でも、僕の心を完全に奪ったのは、やっぱり、優愛だった。
「お待たせしました!」
僕の後ろから現れた彼女は、スクール水着ではない、白地に可憐な花の模様が入ったワンピースタイプの水着姿。
杏奈先輩とは違う、華奢で、守ってあげたくなるような可愛らしさ。それが、彼女の魅力を、容赦なく僕に見せつけてくる。
「……溢喜、顔、赤いよ?」
「う、うるさい!」
僕はもう、彼女から目が離せなかった。
「じゃあ、早速泳ごうぜ!」
瀧川先輩の号令で、三人は、美しいフォームで次々とプールに飛び込んでいく。
すいすいと気持ちよさそうに泳ぐ彼女たちの姿は、まるで人魚のようだ。
(……どうしよう)
一人、プールサイドに取り残された僕。
僕は、何でもないフリを装って、デッキチェアにどかっと腰を下ろし、サングラスをかけ直した。
「俺は、泳ぐより、のんびり日光浴する方が好きなんだ」という、クールな大人を気取って。
「あれ、青空くん。入らないの?」
プールの中から、杏奈先輩が不思議そうに声をかけてくる。
「い、いや、僕は……。ちょっと、日焼けしてからの方が……」
僕の、あまりにも分かりやすい言い訳。
その時、僕が寝そべっていたデッキチェアのすぐそばまで泳いできた優愛が、全てを察したように、にやりと、いたずらっぽく笑った。
「……もしかして、溢喜。まだ、泳げないの?」
「……っ!」
図星だった。
顔が、カッと熱くなる。好きな子の前で、こんな情けない姿を……。
「だ、だったら、悪いかよ!」
僕が、ヤケクソでそう言い返しながら、勢いよく起き上がった、その時だった。
焦りで体勢が前のめりになりすぎて、デッキチェアごと、バランスを崩してしまった。
「わっ……!?」
ばっしゃーん!
盛大な水しぶきを上げて、僕はデッキチェアに絡まるような、最高に格好悪い形で、プールの中に落ちていた。
幸い、そこは水深が浅い場所だった。溺れる心配は、全くない。
ない、のだけれど。
「あはは、あの人、面白い!」
周りにいた小さな子供たちから、指を差されて笑われている。
恥ずかしい。最高に、恥ずかしい。
僕が、あまりの恥ずかしさに顔を覆っていると、目の前に、すっと、手が差し伸べられた。
顔を上げると、そこには、太陽を背にして、僕を見下ろす、優愛がいた。
逆光で、その表情はよく見えない。でも、彼女が笑っているのだけは、分かった。
「言ってたよね? 溢喜が、私のヒーローになるって」
それは、いつか、丘の上の公園で。
僕が忘れてしまっていた、遠い昔の約束。
「私のヒーローは、私が守るんだから。……ね?」
そう言って、僕の手をぐいと引いて、立ち上がらせてくれる彼女は、間違いなく、僕だけの、世界で一番美しくて、そして、少しだけ意地悪な、僕の女神だった。




