第百話 初めてのディナー
「僕がいるから」
デッキの上で、夕日に染まる海を見ながら、僕がそう言うと、優愛は、繋いだ僕の手に、きゅっと力を込めて、嬉しそうに頷いてくれた。
僕らの、忘れられない一週間の旅は、最高の形で、その幕を開けた。
日が完全に沈み、船上が美しいイルミネーションで彩られる頃。
僕らは、一度部屋に戻り、ディナーのための服に着替えることにした。
「……どう、かな?」
部屋のバスルームから出てきた優愛の姿に、僕は、息を呑んだ。
昼間とは違う、少しだけ背中の開いた、上品なネイビーのワンピース。いつもより、ほんの少しだけ、大人びて見える。
「……すごく、綺麗だ」
僕が、ほとんど無意識にそう呟くと、彼女は「ありがと」と、今までで一番、嬉しそうにはにかんだ。
僕も、優愛に選んでもらった、あのネイビーのニットに着替える。
二人で並んで鏡の前に立つと、なんだか、本当に映画の主人公にでもなったみたいで、気恥ずかしくて、でも、誇らしかった。
僕らが向かったのは、船のメインダイニング。
きらびやかなシャンデリアの下、白いテーブルクロスがかかった席で、僕らは少しだけ緊張しながら、メニューを開いた。
「……すごい。何が書いてあるか、全然わかんない」
「ふふっ。私も」
二人で顔を見合わせて、笑い合う。
結局、ウェイターさんにおすすめを聞いて、僕らはコース料理を注文した。
運ばれてくる、見たこともないくらい美しい料理。
ぎこちない手つきで、ナイフとフォークを動かす。
その一つ一つの時間が、今は全部、宝物みたいに思えた。
「……なあ、優愛」
「ん?」
「なんかさ、こうしてると、本当に、夢みたいだな」
「うん。……私も、そう思う」
僕らは、ただ、笑い合った。
周りには、僕らと同じように、特別な夜を楽しむ、たくさんのカップルや家族がいる。
でも、僕の目には、目の前で嬉しそうに頬張る、優愛の姿しか、映っていなかった。
食事を終え、僕らは、夜風に当たりに、もう一度デッキへと向かった。
見上げれば、満点の星空。
寄せては返す、穏やかな波の音。
「……星、すごいね」
「ああ。街にいると、こんなに見えないもんな」
手すりに寄りかかり、二人で夜空を眺める。
ふと、近くで流れていたジャズの生演奏に合わせて、一組の老夫婦が、ゆっくりとダンスを踊り始めた。
その、あまりにも自然で、美しい光景に、僕らは、ただ見とれていた。
「……素敵だね」
優愛が、ぽつりと呟いた。
その横顔は、星明かりに照らされて、昼間とは違う、幻想的な美しさだった。
(……いつか、僕も)
こんな風に、自然に、彼女をエスコートできるような、そんな男に、なりたい。
僕は、そっと、彼女のすぐそばにあった手に、自分の手を伸ばした。
優愛が、びくりと肩を揺らす。でも、振りほどきはしなかった。
「……部屋、戻るか?」
僕がそう言うと、彼女は、繋がれた手を見つめたまま、小さな声で、「うん」とだけ、答えた。
僕らの、初めての夜は、まだ、始まったばかりだった。




