コミット 199:『ゼフィラの誘惑!断ち切られた絆、再生できるってマジ!?』
濃霧の中、一人、また一人と仲間たちの気配が消えていく。ゼフィラは、その得体の知れない孤独感に、無意識のうちに自分の両腕を抱きしめていた。普段は決して見せない、弱さの表れだった。
「(みんな、どこに行っちゃったのよ……)」
強がってはいても、心の奥底では理解していた。この森は、物理的に人を迷わせるだけではない。もっと深く、精神の領域にまで干渉してくる。ニーナが解析に苦しんでいた、あの禍々しい魔力のノイズ。それが今、ゼフィラの魂を直接揺さぶっていた。
ふと、まとわりつくような霧が左右に分かれ、目の前に信じられない光景が広がった。
片方には、どこまでも続くかのような純白の大理石でできた、壮麗な神殿がそびえ立っていた。柱には金の装飾が施され、天上からは清浄な光が降り注いでいる。そこに立つ者たちは皆、穢れを知らぬ純白の翼を持ち、慈愛に満ちた、しかしどこか冷たい微笑みを浮かべていた。天使の一族。彼女の父の同胞たち。
そして、もう片方には、歪んだ黒曜石でできた、禍々しくも魅力的な魔城が天を突いていた。地からは紫色の炎が噴き出し、空には二つの月が不気味に浮かんでいる。そこに集う者たちは、艶やかな漆黒の翼を広げ、退廃的で官能的な笑みを浮かべていた。堕天使の末裔。彼女の母の一族。
光と闇。秩序と混沌。その二つの世界の狭間に、ゼフィラは一人、立たされていた。
『――帰りなさい、ゼフィラ』
天使の一族の中から、一人の長老らしき幻影が、穏やかだが有無を言わせぬ声で語りかける。
『その穢れた半身を捨て、我らが光の元へと帰順するならば、我らは汝を同胞として迎え入れよう。あの者たちとの偽りの絆を断ち切り、真の秩序と安らぎを得るのです』
続いて、堕天使の魔城からも、妖艶な女王の幻影が甘美な声で誘いかけてくる。
『――おいで、ゼフィラ。我らが愛し子よ。その忌まわしい光の血を否定し、我らが混沌の悦楽に身を委ねるならば、我らは汝を同胞として抱きしめてあげよう。あの定命の者たちとの脆い繋がりなど忘れ、永遠の自由を手に入れるのよ』
どちらの言葉も、甘い毒のようにゼフィラの心に染み込んでいく。それは、彼女が幼い頃から、心の底でずっと求め続けてきた言葉だったのかもしれない。「同胞として迎え入れる」という、あらがいがたい響き。
「(同胞……私の……居場所……?)」
幻影たちは、さらに畳み掛けてくる。彼らは、ゼフィラの心の最も柔らかい部分――ニーナたちとの絆の脆さを、的確に突いてきた。
「あの者たちとの絆など、所詮は砂上の楼閣。種族も、生きる時間も、価値観も違う者たちが、いつまでも共にいられるはずがないでしょう?」 「そうよ。人間はすぐに老い、死んでいく。ダークエルフも、しょせんは定命の者。お前は、また一人になるのよ。これまで、ずっとそうだったように」
『どうせ、お前はまた一人になる』
その言葉が、引き金になった。心の奥底に封じ込めていた、孤独という名の怪物が、再び鎌首をもたげる。父を失い、母と引き裂かれ、天使からも堕天使からも「異端」として拒絶され、ただ一人で世界を彷徨い続けた、あの凍えるような日々の記憶。誰かを信じようとしては裏切られ、温もりを求めようとしては突き放された、痛ましい過去。
「(そう……なのかもしれない……。ニーナちゃんたちとの毎日は、楽しくて、温かくて……でも、それも、いつかは終わってしまう、儚い夢……?)」
ニーナの、時折見せるSEとしてのドライな一面。ヴァローナの、騎士としての厳格さ。セレスティの、内向的な性格。フィリップの、研究に没頭するあまりの不器用さ。彼らは優しい。だが、本当に、心の底から、自分のような半端者を、永遠に受け入れ続けてくれるだろうか。
「さあ、選びなさい、ゼフィラ」 「どちらが、お前の真の故郷なのかを」
光と闇の幻影が、同時に手を差し伸べてくる。その手を取れば、もう二度と孤独に怯えることはないのかもしれない。永遠の安らぎか、あるいは永遠の自由か。どちらを選んでも、もう一人になることはない。
ゼフィラの心は、激しく揺さぶられていた。ニーナたちの顔が脳裏をよぎるが、それも幻影たちの甘い囁きにかき消されそうになる。差し伸べられた手に向かって、彼女の腕が、まるで意思を持たないかのように、ゆっくりと上がり始めた。




