コミット 197:『フィリップの葛藤!名工の影と孤高の研究!?』
濃霧は、仲間たちの声だけでなく、世界の輪郭さえも曖昧にしていく。フィリップは、背後に感じるはずの仲間たちの気配が完全に途絶えたことに気づき、舌打ちした。ライフルのスコープを覗いても乳白色の闇が広がるだけで、魔力感知機能も強烈なノイズに汚染されて役に立たない。
「(ちっ……厄介な霧だ。ニーナ君の解析でも難航するわけか)」
技術者としての冷静さが、状況を客観的に分析しようとする。だが、この森の異常性は、彼の理解の範疇を遥かに超えていた。ふと、足元の感触が変わったことに気づく。湿った土くれと落ち葉の感触から、硬く、冷たい石畳の感触へ。そして、鼻をつくのは森の淀んだ匂いではなく、長年慣れ親しんだ油と金属、そして魔石の粉塵が混じり合った、あの独特の匂いだった。
霧が、まるで舞台の幕が上がるかのように晴れていく。そこに広がっていたのは、ジオフォートの街のはずれに立つ、あの古びた石造りの塔――彼が長年一人で研究に没頭してきた、孤独な城だった。
「(……工房だと? 馬鹿な、これは幻覚か)」
フィリップはライフルを構え直し、警戒を最大レベルに引き上げる。森が見せる幻影。ヴァローナやセレスティも、今頃それぞれの悪夢と対峙しているのかもしれない。ならば、自分もこの試練を乗り越えねばならない。
工房の重い扉が、ギィィ、と軋む音を立ててひとりでに開いた。薄暗い内部には、見慣れた作業台や工具、そして作りかけの魔道具の数々が散乱している。その光景は、ニーナたちと出会う前の、孤独で、しかし平穏だった日々をフィリップに思い出させた。
その工房の奥の暗がりから、複数の人影がゆっくりと姿を現した。
「……まだ、あのような玩具いじりに現を抜かしておるのか、フィリップ」
その声に、フィリップの身体が凍りついた。厳格で、どこか冷たい響きを持つその声は、彼が尊敬し、恐れ、そして生涯超えることを目標としてきた、亡き父の声そのものだった。
父の幻影の隣には、かつて彼をギルドから追放した、年老いた職人たちの姿もあった。彼らは皆、フィリップの最新作――ニーナと共に開発した魔導演算ユニットや、風魔のスナイパーライフルを、侮蔑に満ちた目で見下ろしている。
「なんと奇抜で、節操のない代物だ。伝統への冒涜も甚だしい」 「あのダークエルフの小娘に唆され、我らが築き上げてきた技術を売り渡したか。嘆かわしいことよ」 「お前は、偉大なる父上の名に、泥を塗ったのだ」
幻影たちの言葉は、冷たい刃となってフィリップの心に突き刺さる。それは、かつて彼がギルドで画期的な理論を発表した際に、実際に浴びせられた言葉の数々だった。才能への嫉妬、新しいものへの拒絶、そして、彼の不器用な性格への嘲笑。それらが彼を孤立させ、革新への恐怖をその心に深く刻み込んだのだ。
「(違う……! これは、幻だ……! こいつらの言葉に、耳を貸す必要など……!)」
フィリップは、必死に自分に言い聞かせる。ニーナたちと出会い、共に創造する喜びを知った。自分の技術が誰かの役に立ち、笑顔にできることを知った。もう、過去の亡霊に囚われる自分ではないはずだ。
しかし、心のどこかで小さな声が囁いていた。『本当にそうか?』と。『お前のやっていることは、本当に正しいのか?』と。
父の幻影が、一歩前に進み出た。その姿はフィリップの記憶にあるどの時よりも威厳に満ちており、その鋭い眼光は、息子の心の奥底まで見透かしているかのようだった。
「フィリップよ。お前のその魔道具……確かに、斬新な発想かもしれん。だが、そこに『魂』はあるのか? 我ら職人が、代々受け継いできた、一つ一つの工程に心を込め、素材と対話し、そして使い手の人生に寄り添うという、あの気高き『魂』が」
父の言葉は、静かだが何よりも重くフィリップの心にのしかかった。ニーナとの共同開発は、刺激的で、効率的で、そしてこれまでにない可能性に満ちていた。しかし、それは同時に、フィリップがこれまで信じてきた職人としての在り方とは、大きく異なるものでもあった。論理、効率、最適化。それらは、父が最も軽蔑していた言葉ではなかったか。
「ニーナ君との開発は……間違いなどでは……」
フィリップが、かろうじて絞り出した反論はあまりにも弱々しかった。
「ならば問おう。お前は、あの小娘の奇抜な発想の『部品』となっているだけではないのか? お前の技術は、ただ利用されているだけではないのか? お前自身の『創造』は、どこにあるのだ?」
図星だった。心の最も柔らかな部分を、的確に抉られたような衝撃。ニーナのロジカルマジックは、確かに革命的だ。だが、そのあまりにも高度で完成された理論の前で、自分はただ、彼女の要求に応えるための「ハードウェア」を提供するだけの存在なのではないか。そんな不安が、心の片隅にずっとあったことをフィリップは自覚させられた。
「俺は……俺は……」
言葉に詰まる。幻影たちの嘲笑う声が、工房の中に響き渡った。ライフルを握る手が、小刻みに震える。過去の孤独と無力感が、再び彼の心を支配しようとしていた。ニーナたちと出会って得たはずの自信が、まるで砂の城のように、ガラガラと崩れ落ちていく。




