コミット 160:『「新しい素材、新しい技法……この探求心、忘れていた……!」フィリップ、創造の喜びに目覚める。』
ヴァローナによる生活指導(という名の強制介入)と、セレスティの栄養学的なサポート、そしてニーナとの技術的な議論を通じて、フィリップ・アウロスは、少しずつではあるが、その心境に変化を見せ始めていた。彼の工房は、以前のような雑然とした雰囲気から、少しずつ整理整頓され、そして何よりも、彼自身の表情に、以前にはなかった穏やかさや、前向きな光が宿り始めていた。
そして、その変化は、彼の研究にも、明確な形で現れ始めていた。ニーナが提案した「記憶デバイス」の小型化と、より洗練されたデザインの実現という、一見無茶振りとも思える要求に応えるため、フィリップは、これまで試したことのない、新しい素材や、革新的な加工技術に、果敢に挑戦し始めたのだ。
「(ニーナの言う通りなら……従来の魔石の組み合わせだけでは、あの小娘が要求するような、手のひらに収まる記憶デバイスなど、到底実現できん。何か、全く新しいやり方が必要だ……)」
フィリップは、古代の文献を読み漁り、あるいは、他の職人たちが見向きもしないような、特殊な性質を持つ希少な鉱石を取り寄せ、それらを組み合わせることで、新たな可能性を模索し始めた。それは、失敗の連続だった。新しい素材は、従来の加工技術では上手く扱えず、革新的な技法は、安定した結果を生み出すまでに、膨大な時間と試行錯誤を要した。
しかし、その過程で、フィリップは、自分が長年忘れていた、ある大切な感情を、再び取り戻しつつあった。それは、「創り出すこと」への純粋な喜びと、未知なるものへの飽くなき探究心だった。
かつての彼は、偉大な父親の影に怯え、その技術を超えることだけを目標とし、どこか追い詰められたように研究に没頭していた。しかし、ニーナという異質な才能との出会いと、彼女が提示する未来のビジョンは、フィリップに、もっと自由で、もっと創造的なアプローチがあることを気づかせたのだ。彼の職人としての固定観念や、新しいことへの抵抗感は、少しずつ薄れ始めていた。
「(この感覚……まるで、子供の頃、初めて魔石に触れ、その神秘的な輝きに心を奪われた、あの時のようだ……。失敗を恐れず、ただ純粋に、何か新しいものを生み出したいという、この衝動……。私は、いつの間にか、こんなにも大切なものを、見失っていたのかもしれんな……)」
フィリップが、新しい種類の魔石を、これまでにない方法で加工しようと試みている時、彼の指先から放たれる魔力の光が、徐々に多彩な色と、そして生き生きとした輝きを帯び始めているのに、ニーナは気づいた。それは、彼の職人としての魂が、再び燃え上がり、新たな創造のステージへと足を踏み入れたことの証のようだった。
ニーナは、そんなフィリップの姿を、目を輝かせながら見守っていた。彼が生み出そうとしているのは、単なる「記憶デバイス」ではない。それは、従来の魔導回路を魔力の流れを制御する中心的な役割(CPUのようなもの)とし、魔石の魔力を溜め込む性質を一時的な魔力保持領域として活用し、そして、これから生み出されるであろう小型化された記憶デバイスを、複雑な魔法処理を速めるための特別な回路と、多くの魔法パターンを蓄えておく場所(不揮発性記憶領域のようなもの)として機能させる、全く新しい概念の、汎用的かつ高度な魔導演算ユニットの基礎となるものだった。
この試行錯誤の期間は、フィリップにとって、過去のトラウマから解放され、真の創造者としての喜びを取り戻すための、重要なプロセスとなる。そして、それは、ニーナが夢見る自律型魔道具「モニカ」の誕生へと繋がる、確かな一歩でもあった。




