現代パロディ クリスマスSS 2023
電車のドアが開くと、夜の冷たい空気が一気に吹き込んできた。
今にも凍えそうな寒さにシャロンは少しだけ目を細め、踏み出したブーツの踵がかつりと鳴る。白い息を吐いて時計を見やれば、もう夜の十時を過ぎていた。
(…遅くなってしまったわね。)
ウィルフレッド達との約束は九時、完全に遅刻だ。
子供が家で待っているというゼミの教授を送り出し、つい雑務を肩代わりしてしまった。当初「三十分ほど遅れるので先に始めて」とメッセージを送ったが、その後スマホの充電が切れた上に電車が止まったのは完全に誤算だ。
(心配させてしまっているかも……。)
かじかんだ指先を擦り合わせ、仕事終わりの大人達と階段を下りていく。
首に巻いたマフラーを軽く押さえて隙間をなくし、コートのポケットからパスケースを取り出した。目的地まで歩いて十分もないとはいえ、その間に指は冷えきってしまいそうだ。
(ポケットに手を入れたまま歩くなんて、ちょっと「らしくない」事をしてみようかしら。)
あるいは、走った方が温まるのかもしれない。聞き慣れた電子音と共に改札を通り、パスケースをポケットにしまう。歩きながら視線を上げたシャロンは、不機嫌な金色の瞳と目が合ってつい足を止めた。
「アベル…?」
「…遅い。」
なぜ、ここにいるのだろう。彼はウィルフレッドと一緒に家にいるはずだ。
きょとりと瞬いたシャロンに構う事なく、アベルは「早く行くぞ」とばかり駅の出口を顎でしゃくって歩き出してしまう。シャロンは慌てて彼の隣へ並んだ。
「迎えに来てくれたの?ウィル達は…」
「家にいる。…お前、スマホはどうした。」
「ごめんなさい、あの後すぐ充電が切れて……何かメッセージをくれていた?」
「大した事じゃないからいい。」
それは流石に嘘ではないだろうか。
いつから待っていたのと聞いて良いものか、迷うシャロンにアベルが左手を差し出した。握手でも手を繋ぐでもなく、荷物を持ってやるという手振りだ。
ここで「資料が入っていて重いから」と遠慮すれば、「猶更よこせ」と眉を顰められるに決まっている。
素直にお言葉に甘える事にして、ほんの少し触れた手は温かかった。
「ありがとう、アベル。」
「別に構わないけど……何でそんなに冷えてる。」
シャロンの鞄を右手に持ち替えながら、アベルが聞く。
見ての通り素手だからと言いたいが、手袋がないのは彼も同じだ。アベルはさっきまでポケットに手を入れていたようだから、まだ温かいのだろう。
「今日は手袋を持ってなかったの。油断してしまったわ」
「……そうか。」
二人並んで歩きながら、少しの沈黙が流れる。
困ったように視線を泳がせていたアベルは、考えた末にもう一度シャロンに手を差し出した。澄んだ薄紫の瞳が尋ねるように見上げてくる。
ゆるりと瞬いて肯定を示せば、彼女はそっと遠慮がちにアベルの手を握った。その指先はかなり冷えていて、片手で包む程度ではあまり意味がなさそうだ。
手っ取り早く、アベルは繋いだ手ごと自分のコートのポケットに突っ込んでみる。思った通り、外気に晒すよりは余程温かい。華奢な手を握り直す。
「早く帰るぞ。ウィル達が待ってる」
「……はい。」
なぜか敬語になったシャロンと共に、星空の下を歩いた。




