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26:失った腕

 一方、創人とツグミコは、戦いの最中に付着した汚れを流すため、再び入浴をしようとしていた。


「体流すの、手伝ってね」


 右手を失ったツグミコは、創人に体を洗うのを手伝ってもらう必要があった。

 男女の分かれている温泉は使えないので、客室内のバスルーム前でツグミコは浴衣を脱ぎ、生まれたままの姿になる。二人とも急いでマーガレットを追ったため、下着すら付けていない状態であった。


 青紫色の痣がいくつも付いたツグミコの傷ましい背中は、思わず目を背けたくなる。


「……あぁ」


 重たい返事をし、創人も泥だらけの浴衣を脱ぎ捨てた。


 究極体が自分の父親だったこと。父によってツグミコが二度と取り返せないほどの怪我を負ったこと。絶望から立ち上がろうとしていた矢先の出来事のため、心にくるダメージはかなりのものであった。


 創人がバスルームに入ると、一足先に入ったツグミコが座って待っていた。特に何も言わず背中を丸め、正面の鏡をボーっと眺めていた。


「背中お願い」


 そう言われると、創人はシャワーを当てた。


「痛くない?」


 強い打撲跡がある背中は、シャワーの水圧でも刺激が強すぎるかもしれない。創人はそんな心配をしていた。


「平気」


 背中を触られても、ツグミコは表情ひとつ変わらない。創人は本心だと判断し、優しく手を添えて撫でるように彼女の体を洗い始めた。


「その……今、すごい辛いはずだけどさ、今生きていられるのは不幸中の幸いってやつだと思うんだ」


 創人は鏡越しにツグミコと目を合わせ、口を開いて語り始めた。


「明日になれば夜鳥さんたちの保護を受けれるし、安全な場所にいけるはずだ。だからさ、もっと前向きになっても、いいんじゃ……ないかなって」


 思っていることを何も考えず発しているため、その台詞はたどたどしい。それでも、創人は言わずにはいられなかった。自分の言葉が、少しでもツグミコの心を支えになるのではないかという気持ちが、創人を饒舌(じょうぜつ)にさせていた。


「俺としても、こう……ツグミコにはちゃんとした人生を歩んでほしいっていうか……」


 背中を撫でる手の動きが止まる創人。


「根はすごい良いやつだって分かるから、分かるからこそ……犯罪とかに手を染めてほしくないんだ……。夜鳥さんのところに行けばきっと役に立てて……」


「いつまで話すの?」


 さらに言葉を続けようとしたところに、ツグミコが水を差す。


「え……?」


「いや、長いからさ」


「はあ……。あ、そう……はは……」


 ツグミコに心の支えなど必要なく、創人の打ち明けた想いは〈長い〉の一言で片付けられてしまった。空回りしっぱなしの自分に情けなくなり、創人は苦笑いをすることしかできなかった。


「一個言っておくと……私、保護受ける気ないから」


 イスに座ったまま、ツグミコは尻を軸にして半回転した。その真後ろに創人がいるため、二人の顔は鼻先がくっつきそうなほどの至近距離であった。


「えっ!? じゃあアレは嘘……」


 あまりにも近かったため、創人は顔を引く。


「旅館に戻ることは同意したけど、保護までは同意していない。明日は朝一でスブシストリクオルの元に行くよ」


 スブシストリクオル――時を止めるイグノトゥスで、魔剣の暴走を抑えられるという。ツグミコは当初の目的を忘れていなかった。


「んなバカな……。俺の父さんが待ち構えているかもしれないんだぞ!」


 究極体がホーパーとの戦闘中に発した「君たちの最終目的地はおおよそ把握している」という言葉。

 相手の言った最終目的地というのが、ツグミコの目指すイグノトゥスのある場所である可能性高い。


 それを踏まえたうえで言っているツグミコが、創人には無謀に思えた。


「だったら返り討ちにすればいい」


「だって魔剣は……」


「勝ち筋はある。一か八かの五十パーセントってところだけど」


 ツグミコは考えなしに言っているわけではなかった。口元をニヤつかせ、自信にあふれた顔を見せつける。


「スブシストリクオルの元に行ければ金輪際狙われることもないし、おびえることもない。あなたのメリットも変わっていないよ? だいたい本部が機能していないというあの組織で保障される安全なんて、たかが知れてるでしょ」


「…………」


 反撃をするかの如く今度はツグミコが舌をまくし立てる。創人は圧巻してしまい、何も言えない。


「本当は直前まで話さないつもりだけど、言っちゃった……。私なりに、あなたを信用してるのかも……付いてきてくれるって……」


 ひと通り言いたいことを言ってスッキリしたのか、ツグミコは話すスピードがどんとんとゆっくりになった。


 そして最後に、これまで見せたことのない無垢な笑顔を見せてくれた。


「ツグミコ……」


 彼女の言い分を最後まで聞き、頭ごなしに否定するものでもない気がしていた。

 しかし、確実性があるものではなく、回収部隊の保護を受けたほうが良い可能性も捨てきれない。


 ツグミコを止めるべきか、ツグミコに付いていくべきか、創人は判断ができなかった。




 翌朝。何かきっかけがあるわけでもなく、創人はパッチリと目を覚ます。


 バスルームでの一件から、自分がどんな行動を選択するか考え続けていた。しかし疲労蓄積により、布団に入るとすぐに深い眠りへと誘われてしまった。


 体感時間は一瞬、瞬きをしたのと同義である。その間に部屋に日差しが入っているのだから、タイムスリップをしたのかと、創人は軽く困惑していた。


 一足先に起きていたツグミコが、懐中電灯片手に見下ろしていた。衣服は入浴後に着替えた白い半袖とホットパンツ、ここに到着した時の格好である。他に服がないため、創人も同様にシャツと短パンの姿である。


「おはよう。あと五分寝てたら無理くりに起こすところだった」


「それ、ちゃんと後で返せよ……」


 持っている懐中電灯が旅館から盗んだものだと、創人は察知していた。


「それはよろしく」


 ツグミコに返す気は毛頭なかった。彼女はしゃがみ込み、寝起きでシャキッとしてない顔に目を合わせる。


「んで、結局私に乗ったってことでいい?」


 創人の第一声から、自分の考えに賛同しているのだと判断したツグミコ。強い目力で彼の意思を確認する。


「……ああ」


 ツグミコ目をしっかりと見つめたまま、こくりと創人はうつむく。


「でも、あくまでイグノトゥスの元に行くまでだからな。それ以上は何が何でも元に戻す!」


 考えている間に寝てしまったのがここでまさかの功を奏す。


 ツグミコが納得してくれるかどうかという妥協点は考慮せず、ただ自分が付けたい条件を掲示していくことができた。


「そう」


 ツグミコからすれば、創人の宣言などどうでも良かった。その気になればいつでも破ればいいのだから。


「後……、夜鳥さんにも許可を得ようと思う。その上で行く」


 創人はここで立ち上がる。


「それは無理でしょ」


 ツグミコはしゃがんだまま創人は見上げ、今度は強く否定する。出発までは創人に協力してもらう必要があるためである。


「ツグミコも理由言ってただろ。しっかりと納得してもらった上で行くんだ」


「そんな時間はない。却下」


「その時間はある」


 突然現れる第三者の声に、二人は扉のほうを向く。

 声の主は夜鳥。扉の奥からちょうど話を聞いていて、入るタイミングをずっと見計らっていた。


「いや……そもそも許可は取らなくていい。私自身も付いていくつもりだからだ」


 鬼から言われた別の提案、それは保護を拒むツグミコに付いていくということである。


 究極体の捕獲ができるかもしれない、新たなイグノトゥスを確認できるかもしれない、といったメリットがあるが、それに伴うデメリットもある。回収部隊が崩壊している現状で、原因となる魔剣を抑えるには、賭けに出る必要があると思い、ツグミコに付くという選択をしたのであった。


「…………」


 さすがのツグミコもこの展開は全くの想定外で、困惑していた。


「ここで揉めてる時間はないんだろ?」


 余裕のある表情で口角を上げる夜鳥。彼には、ツグミコがうなずく未来がもう見えていた。

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