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02:トイレから登場

 校門がこじ開けられたという朝の一波乱は、すぐになかったかのようになり、授業は進められた。


 一時間目は数学。残念ながら創人の学力は学内であまり高いほうではない。数学教師が丁寧に定理の説明をしているが、創人には魔法の呪文であった。


「クククッ……!」


 創人が珍紛漢紛な状態であることは、誰から見ても一目瞭然であった。隣の席にいる川崎(かわさき)という女子生徒がこらえ切れず笑ってしまった。


「なんで笑うんだよ?」


 理解しようとしているのに理解できない。創人からしたらかなり深刻な悩みであったため、笑われるのは不本意であった。


「ごめんごめん、だって顔に」


「そんな顔に出るタイプ? 俺って……」


 ささいなことで喜ぶ明るい性格である一方、落ち込んだ際はとことん落ち込んでしまうという面もあり、とにかく感情表現が豊かな人物であった。彼の泣いている姿を見た知人友人は少なくない。


「創人君っていっつもそうだよ。態度が露骨っていうかさ~。ま、分かりやすいほうがいい事もあると思うけど」


 そんな創人の性質であるが、彼の人生においてはプラスに働いていることが多い。川崎も、噓偽りなく接してくれる人間性に好感を持ち、出会ってから一か月ちょっとであるにも関わらず、すぐに打ち解けることができた


「あー、そーっすか。後で教えろよな」


 ムスっと頬を膨らませ、創人は黒板の板書を再開した。




 昼休みを終えた午後、創人も朝の不安はすっかり忘れ、学校生活を伸び伸びと楽しんでいた。六時間目の授業は体育、校庭でラグビーを行っていた。

 経験者の殆どいない競技の中、創人は一人目立った活躍をしていた。


「っしゃあああ!!」


 試合は創人の力で圧勝。本人は大きくガッツポーツを取り、同チームからも拍手で称賛される。


「しっかしまぁ、お前、すごいスポーツ得意になったよなぁ」


 相手チームにいたのは三浦(みうら)という生徒。体育着で汗を拭きながら言った。創人と三浦は幼馴染であり、お互いの過去のことを知っている。創人は幼い頃はむしろ運動の苦手な人間であった。しかし、成長するにつれて身体能力は人一倍向上し、今では学年でもトップクラスの運動神経を持つ生徒となった。


「まぁまぁ、努力の成果ってやつよ」


 創人は清々しい笑顔を見せる。その時、彼は尿意を催した。


「ちょっとトイレ行ってくる。先生に伝えといて」


 三浦に伝言を残し、校舎一階のトイレへ駆け足で向かった。




 音を立てないようにしつつ廊下を小走りし、創人はトイレへと到着した。トイレ内は授業中のため他に人はおらず、物静かであった。


 ハーフパンツを少し下ろし、ボクサーパンツの前開きから異物を出す創人。小便器に向かって放尿を開始する。


 その時である。小便器の側面が卵型の切れ目が生じ、そこから一人の少女が顔をひょっこりと出してきた。フェイスガードで尿の直撃を防ぎながら、彼女がにんまりと微笑む。


「うわああああああああああ!?」


 創人は驚いて腰が抜ける。放尿は止まらず小便器に向かってアーチを描き続けていた。

 その様子をじっと少女は見続ける。尿の放出が止まったことを確認すると、少女は小便器にさらなる亀裂を作って大きな穴を空けた。


 少女は小便器から飛び出し、その全貌を露わにする。紫がかった忍者装束をまとい、長く艶のある髪の毛を後ろで結んでいた。


「驚かせてごめん。あなたのおちんちんに用があるの」


 少女の第一声は耳を疑うようなものであった。


「い、意味わからん……」


「ちょっと触らせて」


 手を伸ばした少女は、パンをこねるように揉みほぐしていく。


「えっ? ああっ……!」


 初めて他人に自分のモノを触られた創人は、未知の感覚に悶えた。真剣な眼差しの少女は非常に献身的に思えた。


 理性が吹っ飛びそうになったが、視界に小便器が入ったことで正気を保つ。目の前にいるのは小便器から出てきた怪しい女、性接触を行おうという判断にはならなかった。


「やっ……やあ……! やめろおおおおおおおおおお!!」


 創人は少女を突き放し、へっぴり腰でトイレから逃げた。


「たっ、助けてくださああい!!」


 廊下に出た創人はすぐさま叫ぶ。その大声は教室内にも響き渡り、授業中の生徒が続々と廊下に顔を出してきた。


「キャアアアアアアアアアア!!」


 同時に悲鳴と歓声が生徒たちから湧き上がる。


 理由は創人が下半身の隠すべき部分を丸出しにしていたからだ。恥ずかしがって教室へ戻る者、興味本位でさらに凝視する者、よく見えないので本当に出したのか確認する者。一階の廊下はとにかく大盛況となってしまった。


 創人は慌ててパンツにブツをしまった。


「皆さん落ち着いてください! 一体どうしたのですか?」


 通りのよい声の主は朝に校門を開けた綾瀬先生。騒ぎを聞いて慌てていたのか、チョークを右手に持ったまま廊下へと飛び出し、創人に向けて首をひょっこりとかしげる。


「トイレに、トイレに不審者がいたんですう!」


 強い気迫を感じさせる物言いで、創人は綾瀬先生に言った。先生も不審者という言葉を聞き、気が引き締まった。


 興奮状態が収まらない創人は、綾瀬先生の腕をつかんで男子トイレへと連れ込んだ。しかし、トイレには誰もいなかった。


「……いないわね」


 少女は既にこの場を去っていたが、小便器は破壊されたままであり、何かが起きたことは誰の目から見ても明らかであった。


「逃げたんだきっと」


「どういう状況だったか教えてくれる?」


 そう言われると、創人は破壊された小便器を指差す。


「ここから出てきたんです」


「…………」


 創人の証言を聞いた瞬間、綾瀬先生は真剣な顔からあきれた顔へと変貌した。


「う~んっとねぇ。本当のこと、話してくれる?」


 さらに困った表情を見せ、綾瀬先生は創人に再度目を合わせた。


「確かに、ここまで派手だと、正直に言ってもいろんな人に怒られると思う。でもね、そういう嘘を付くと、もっと事が大きくなって、もっと鶴城君にとって嫌な結果になっちゃうものなの。今のは聞かなかったことにするから、ね?」


 できるだけ言葉を選びながら、精一杯穏やかに促す綾瀬先生。


(ああ……ダメだこりゃ)


 当事者の自分ですら信じがたい出来事を、見ていない人が信じるのは不可能だと思い、創人はこの場での説得を諦めた。




 結局、創人は放課後に教師たちと話すことになってしまった。


「お前さぁ、マジで便器壊したの? なんで?」


 話はすぐに学校中に広まり、クラスメイトからの質問も絶えなかった。複数人の男子生徒からの追及に創人はうんざりとしていた。


「だから違うんだってよぉ……。壊したんじゃなくて、おしっこしてるときに女の子が便器から出てきたの」


「もうちょっとマシな嘘思い浮かばなかったのか?」


 紛れもない事実ではあるが、当然のごとく誰も信じてくれない。


「本当なの! 友達なら信じてくれよ! くっそぉ……!!」


 本来は嘘でもついて自分の弁明をしたいところだが、創人はそんな器用なことはできない。逆の立場だったら絶対に信じないということも理解している。


 行き場のない悲しみに耐えきれず、創人は机に伏せて悔し涙を流す。


「いやさすがに……なぁ?」


 男子生徒たちもからかうのが目的ではなく、ただ真偽を知りたかっただけである。泣き始めた創人に戸惑い、その場の雰囲気はどんよりとしたものになってしまった。

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