18:男湯での攻防
創人は男湯に入る。脱衣所は自分以外誰もおらず、貸し切り状態であった。
(そういや……一人になるの久々かも……)
この空間にいるのは自分のみ。昨日からずっと誰かと共に行動していたことに気付いた。
「独り占めか……」
この旅館の脱衣所にはカゴが置かれた専用の棚があり、そこに衣服を入れるという形を取っている。カゴは網目状であり中に衣服が入っているかどうかの確認ができるが、一切無かった。カゴもズレがなく丁寧に整列されていて、清掃後から全く使われていないように思える。
「本当に大丈夫なのかねここ……」
創人は露天風呂の独占より、三度旅館の経営状態が心配になった。
二名の客が露天風呂を楽しんでいる最中、旅館にはもう一人の客が訪れた。
「夜遅く申し訳ありません。先ほど予約した夜鳥です」
訪れた客の正体は、赤いジャケットを身にまとった夜鳥であった。
鬼が掲示した場所が、ちょうど旅館・カクレガの近くにある湖、芽球雲湖であった。鬼は気を利かせ、夜鳥の名で旅館の予約までしてくれたのである。
運命の巡り合わせを知る由もなく、夜鳥は仲居に一礼を行う。
「お待ちしておりました。ただいまお部屋に案内いたします」
深々と頭を下げた仲居は、速やかに宿泊間へと夜鳥を連れていく。ろくに手荷物もなく、夕方に急な予約をした者であっても、分け隔てなくおもてなしする姿は、まさしくプロである。
部屋へ案内された夜鳥だが、くつろぐ様子は全く無かった。
「まだ八時か……」
部屋の中央付近に立ったまま腕時計を見つめる夜鳥。脳内では、今後の予定を組み立てていた。
「今の内に汗を洗い流しておくか……」
暑い湯水で体は温まり、外気で顔は程よく冷える。周りの湯気がまた心地よい。空を見上げても街灯の光は一切無く、星々が自らの存在を控えめながらも個々を主張している。
露天風呂にて、創人は感傷に浸っていた。
一刻でも笑っていてほしい――そんなツグミコの言葉がきっかけとなり、彼自身でも驚くほどに心の整理が付けられていた。
過ぎてしまった事実は受け入れるしかない。自分の家族は魔剣のことを知っていて、その秘密を守るためには非人道的行為もいとわない存在であったのだ。
しかし、まだまだ謎が多い。何もかも解決したというわけではない。
創人はふと「代々受け継がれてきた剣」という母の言葉を思い出した。
(代々……父さんから俺に魔剣が引き継がれたのかな……?)
創人は父親の記憶がない。家族からは自分が生まれてすぐ行方不明になってしまったと聞いている。昨日の出来事を考慮すると、聞かされていた話も疑わしくなってくる。
その時、とある人物が突如露天風呂内に入ってきた。
「お久しぶり、鶴城創人君。昨日以来ねぇ」
バスタオルを胴に巻いたブロンドのロングヘアーを束ねた女性。足は肩幅まで開かれ、腰にも手を当てた、自信過剰なポーズで創人に声を掛けてきた。
「あっ、アンタは……!」
髪形や装飾に違いはあるものの、創人はすぐにピンと来た。昨日教師に化け、自分を狙った謎の女、マーガレットであると。
「股間のソレ、もらいに来たわよ」
マーガレットの狙いは創人の命から一物へと変わっている。右手を前に突き出し、源泉に隠れたナニのおおよその位置を指差した。
「その前に、こ、ここ男湯ですよ!」
創人はかなり動揺している。ツグミコがいないどころか文字通り丸裸のこの状況で、勝ち目など見いだせるわけがなかった。
「犯罪者にモラル求めるのね……。生きづらそう」
苦し紛れの時間稼ぎは何の役にも立たず、マーガレットは温泉の中に飛び込んだ。潜水したまま一気に創人の元へ近づいた彼女は、一瞬で彼の背後に周り込んだ。
「でえええええ!? えっ……ああぁ嘘ぉん!」
マーガレットは強い抱擁をしながら右手を伸ばし、手をかけた。創人はもがいて抵抗をするものの、彼女は一度握ったソレを離さない。そのしぶとさはスッポンにも匹敵するであろう。
こうなってしまうと、創人に残された手段は、勃起をしないということだけであった。
(変顔、変顔、変な顔……!)
貧困な発想の末に実行した作戦は、エロと無関係のことで頭を一杯にして気を紛らわせるというものである。勝手に友人の頬を引っ張ったり、鼻を吊り上げたり、舌を出させたり、とにかくおちゃらける友人をひたすら想像し続けた。
「アンタ別のこと考えて耐えてる? それ、変な癖ついゃうよ」
マーガレットは、それすら見越して揺さぶりをかける。
友人の顔を見ただけで隆起する、なんてことは死んでも避けたいものである。創人は必死で考えるのをやめようとするが、そうすればするほど、逆に友人の顔が思い浮かんでしまう。
「あぁ……嫌だ」
脳みそに友人の変顔が侵食していく。力はスっと抜け、何かを考える気力が一気に消失してしまった。
相手の頭が真っ白になったのを察すると、マーガレットはそれを桃色に染め上げようと追い打ちをかけた。創人の右耳を甘噛みした後しゃぶるように舐め尽くしたり、空いている方の手で彼の乳頭を弄り倒したり、スケベの限りを尽くした。
(も、もうダメだ……)
なされるがままの創人。絶体絶命のその瞬間、男湯にまた別の人物が入ってきた。
ツグミコたちの捜索で偶然ここに来た運のいい男、夜鳥である。
「なっ……!」
いかがわしい行為をする二人が突如視界に入ったことに驚き、夜鳥は思わず顔を伏せる。
「た、たたた助けてください!」
とっさに叫ぶ創人。相手が誰かの区別はついていないが、第三者が現れたという奇跡が舞い降りたことをきっかけとし、この状況を打破できる可能性を見出したのである。
そんな最中、マーガレットは速やかに森へと姿をくらます。解放された創人はすぐさま夜鳥のほうへ駆け寄った。
「いやぁ……危機一髪。急にあの人が入ってきたんですよ」
「危機が去ったなら君もここから出たほうが良い……ここは男湯だ」
目元を自身の手で覆いながら夜鳥は声を発した。
「どういうことです?」
創人は勘の良い読者ではないので、夜鳥が何を伝えようとしているかが理解できずにいた。
「君のような女性は本来いるべきでないだろう」
「いやいやいや、俺はどう見ても」
その時、自分の声の異変にやっと気づいた。雲雀の鳴き声のように愛おしく甘いそれは、最初に女体化した時と同じ違和感であった、
「女だああああああああああ!!!」
下を向き、自分の体を見て確信が確定に変わる。
「マズいマズいマズい……!」
それと同時に創人の脳内で高校や回収部隊の施設が崩壊した場面を思い出す。ただでさえ過激なマーガレットの手に渡ってしまえばそれ以上の被害になりかねない。しかも彼女が魔剣の使い方を知らないとすれば、世界そのものが滅びるという最悪の事態に発展することもあり得る話である。
そんなことを考えた創人は、焦って頭をかきむしった。
「ってかあなた、夜鳥さんじゃないですか!?」
今頃になり、目の前の男が夜鳥であったことに気付く創人。
「なぜ私の名を……?」
夜鳥は女体化した創人を見たことがない。創人が女体化するという事実を知ってはいるものの、それらを結び付けることができなかった。
「俺ですよ俺、鶴城創人!」
「鶴城……。本当か? なんという奇跡だ……!」
若干の疑いを持ちながらも、イチかバチかの賭けに勝利をしたことに驚喜を感じる夜鳥は、覆っていた自らの手を剥がし、創人の顔を見ようとした。
しかし夜鳥すぐにまた目を伏せる。原因は創人にあった。
「だが……、その前に、隠してくれないか」
創人は女体を恥ずかし気もなく披露していたのである。薄桃色の先端までりりしく突っ張っている豊満な乳房も、芸術的な曲線を描いている腰のくびれも、滴った性毛で申し訳程度に隠された局部も、全部開けっ広げだったのだ。
そんな創人であったが、照れる夜鳥を見て、急に自分の肉体に対して恥じらいが芽生え始めた。
「だあああああ~! もうっ! そっちに恥ずかしがられると、こっちまで恥ずかしくなってきますよ!」
消化できない腹立ちとともに夜鳥に背を向け、しゃがんで体を隠す創人。
「とにかく俺って分かってもらえたら話は早いっす。さっきの金髪に魔剣を取られました!」
後頭部を相手に見せたまま、創人は簡単に要件を伝えた。




