17:レッツ・リフレッシュ
仲居さんに部屋へと案内される二人。外からの奇麗な自然が展望できる客室は、この旅館で最も間取りが良い部屋であると容易に想像が着く。どうやら自分以外に客はいない様子で、創人はより一層、旅館の経営状態が心配になった。
室内も清潔感があって和を感じさせる居心地のよい空間になっており、創人はなおさら旅館の経営状態が心配になった。
ツグミコは仲居さんが出ると、着ていた白い半袖のシャツを脱ぎ始めた。
「ささ、浴衣浴衣」
純白のブラジャーを露出したまま、ツグミコは創人に浴衣を渡す。目をギョっとさせる創人をよそに、さらにホットパンツを脱いで下着姿を露わにする。彼女の基準ではこれも恥ずかしいことではないのであろう。創人も言われるがまま浴衣へと着替え、二人は完全に宿泊ムードへと入っていった。
「夕食も出してくれるってさ、それまでどうする?」
ツグミコは声を弾ませて尋ねる。その様子は旅行でテンションの上がっている無垢な少女そのものである。
「ここは露天風呂もあるし、レトロゲームのコーナーもあったし、外の景色を見るってのもあるし」
指を一本、二本と立てていきながら提案を続けるツグミコ。彼女が明るく振る舞えば振る舞うほど、創人の暗さがより際立っていく。
「別に……。そんな気分じゃないし」
創人はテーブルに肘を乗せ、座布団に座り込む。じっと木目調のテーブルを見つめ、深刻にうつむいたままであった。
「そういう気分を変えるために連れてきたのに」
棒立ちで見下ろすツグミコは、少しの間を開けた後にぽつりとつぶやく。人ごとのような言い草が、創人の逆鱗に触れた。
「んなこと言われたって、簡単に変えられるかよ!」
テーブルを強く叩き、全身を震わせる創人。場の空気が一気にピリ辛く変わる。
「俺は昨日の今日でこんな状況になっちまって、喜楽にいろって方が無理だろ!!」
創人は激情を響かせてたまっていた想いを吐き出した。日常を失った現実をまだどこかで受け入れられず、心に遊びを楽しむ余裕などない。
「アンタのせい……いや誰のせいかももうわかんねえ。どうであれ俺は、俺の生活は……! もう戻ってこないんだよ……!!」
このやるせなさは一体どこにぶつければいいのか、創人は嘆き苦しみ、頭をかきむしって虚弱なうなり声をあげる。
悲しみに打たれたその姿に、ツグミコも困り顔をしていた。
「ごめん」
そして、ツグミコは謝った。
感情がこもっているとは思えない軽い感じではあったが、彼女から謝罪の言葉が出てくるとは到底思わず、創人はきょとんとしてツグミコのほうへ顔を向ける。
「でも、それでも、一時でも、笑っていてほしい」
だがツグミコは譲らない。あくまでの旅館でのレジャーを満喫するつもりであった。
「目の前で誰かがが泣いてると、私も辛いから……」
創人はツグミコの声のトーンが少し低くなったことを感じ取った。その時、昨晩の出来事を思い出す。
泣きながら炎の竜巻を止めてくれと懇願したあの時、これまで彼女自身の欲のまま動いていたツグミコが、珍しく自分の望みを叶えてくれた。
それからもツグミコは、強引ではあるものの自分を楽しませようとしてくれている。彼女にとって〈涙〉というのは、それだけ毛嫌いするものなのだろうか。
そんなことが脳裏によぎると、創人はツグミコが根っからの悪人でないように感じてきた。そして、一時でも笑っていて欲しいという想いに応えたくなっていた。
「……分かったよ」
まだ心の整理が付かない部分もある。それでも創人はこの鬱々しい気分を乗りこえる努力をしようと思った。
その頃夜鳥は悪戦苦闘中であった。
人通りの多い街を転々としながら、白い軽自動車や男女二人組の目撃情報を募っていたが、有益な情報は全くといっていいほどつかめなかった。
(やはり……やはり無駄なあがきだったのか……)
時刻が進むたびに焦りが増し、手が汗で湿っていく夜鳥。ただ聞き込みをするだけではどうしようもないと思った。大勢の人流が交錯する駅前の道路にバイクを停車させ、眉間にしわをよせて思いつめる。
(何か……何か手がかりがあれば……)
夜鳥の焦りは積もるばかりである。だがそのような状況下においても、諦めようとしなかった。藁にもすがる想いで創人が話していた内容にヒントがないか、全身の神経を研ぎ澄まして記憶をたどることにした。
創人の男性器は引き抜くことができ、それが魔剣になるということ。
創人は魔剣を抜かれると自身の体が女になり、女性器に剣を入れることで男に戻る特殊体質であること。
魔剣は強大な力を持ち、放っておくと勝手に力が発動してしまい、非常に危険なものであるということ。
高校での騒動は、科学許容外品を収集している少女と、創人を殺害しようとする女性の抗争であったこと。
少女が金髪女性を追い払った後、森へ行って魔剣について聞いたこと。
時を止める科学許容外品の元へ行き、魔剣の力を抑えるのが少女の目的であること。
「……そうだ。時を止める科学許容外品……!」
夜鳥は閃いた。その興奮がやまないうちに上司である鬼に電話をかけた。
『はい、こちら鬼です』
「お疲れさまです。夜鳥です」
回収部隊に支給されている高性能スマートフォンは、雑音が騒がしい空間でも話者の鮮明な音声を届けることができる。
『夜鳥!? 見つかったのか!』
名前を聞くとすぐに、鬼は早合点で反応した。
「いいえ。ですが今、閃きました。私たちには〈分からない〉という手がかりがあったのです」
夜鳥は自信に満ちながら言った。
『……おばさんにも分かるように教えて』
セリフは飛躍気味であったため、鬼は飲み込み切れなかった。夜鳥も先走り過ぎたことを自覚し、順を追って自らの考えを説明することにした。
「鶴城創人を誘拐した少女の最終目標、覚えてますか?」
深呼吸をし、ゆっくりとした口調で問う夜鳥。
『時を止める許容外品であの魔剣の力を抑える、でしょ?』
鬼も部下に合わせるように落ち着いて答えた。
「はい。彼女たちはその許容外品がある場所に向かっているはずです」
『でも私たちにその許容外品を知る手がかりは……』
「分かっていません……が、それがポイントです。裏を返せばわれわれが未調査の場所に彼女たちの目的地があるということです」
夜鳥は発想を逆転させたのである。ツグミコらの向かうであろう所を探るのではなく、彼女らが向かわいであろう所を除外して行き先を突き止めるという思考方法にシフトしていた。
『で、どこが調べてないか知りたいってこと? そんな所いくらでもあるし』
しかし、夜鳥の閃きには穴が点在している。鬼は突っ込まずにはいられなかった。
「もともと可能性が低い賭けです、今から行ける範囲で、われわれが把握できていないことからひと気の少ないところ……ありませんか……?」
夜鳥も引き下がらない。他にすがるものが全く無い状態では、これが最善の行動であると訴える。
『う~ん。なるほどねぇ……適当に当たってみるわ。ちょいまち』
その真剣な想いを、電話越しに鬼は受け取った。
時は流れ、夜。
旅館内の露天風呂へとつながる脱衣所に創人とツグミコはいた。
夕食の時間までの間、創人はツグミコに引っ張られる形で散歩やゲームをして過ごしていた。居座るだけで健やかになりそうな大自然の空気を味わい、アナログなゲームをやって時代を感じ、創人の黒ずんだ心境は少しだけ輝きを取り戻しつつあった。
晩の食事で提供されたのは、近くで採れたという川魚と山菜の料理である。当日予約とは思えないほどのメニューのボリュームに驚きつつ、二人はその土地の味を満喫した。
「今日は露天風呂入って、明日に向けてぐっすり寝ようね」
食後に腹を擦りながらツグミコは言い、現在に至る。
「別に待ち合わせとかしないから、出たら部屋に戻ってて」
ツグミコは女湯ののれんをくぐり、鼻歌混じりで脱衣所へと足を運ぶ。本能のまま人生を謳歌しているかのような彼女の生きざまに、創人は少し口元が緩んだ。




