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01:朝の一幕

 障子を通した朝日が程よく室内を暖める。


 ピピピ……ピピピ……ピピピ……。


 朝七時、秒針が真上を差したと同時に目覚まし時計は鳴り始めた。


「んん……っ!」


 頭上で鳴る目覚まし時計のボタンをカチッと指先で軽く押し、鶴城(つるぎ)創人(そうと)は目覚めた。


「あぁ~、今日から学校かぁ……!」


 上体を起こし、両手を上げて伸びをする創人。三連休明けの終わった月曜日、大半の日本人にとっては平日のルーティーンがいつもより憂鬱(ゆううつ)に感じられるだけの平凡な日となる。十六歳の創人は、風雲児高校(ふううんじこうこう)に通う高校二年生である。


 しかし、彼にとってこの日は、人生の転換点となる大きなターニングポイントになるのであった。


 そんなことはつゆ知らず、創人は洗面所へと足を運んだ。


 ネタバラシをすると、この後本作のメインヒロインが小便器をぶち破って登場する。それまでは創人の平たんな日常シーンが続くが、寝落ちせずに読み進めてほしい。


 彼の住居は立派な日本家屋で、近所でも邸宅として有名である。個室は和室であるものの風呂やトイレなどは洋式であり、最新家電もそろえられているので非常に住み心地の良い家となっている。


 洗面台の蛇口を全力でひねり、荒々しく放出される水で創人は顔を洗った。寝ぼけていた体を覚醒させた後は時間をかけて髪をセットする。派手に取っ散らかった寝グセを一つ一つ整えていき、遊びのない奇麗な直毛へと変貌した。髪の長さは全て肩に当たるほどに統一された、いわゆるワンレングスであり、本人はこれが自分に最も似合う髪形だと自負している。


 水の滴った自分の姿を鏡で確認し、創人はニヤリと口角を上げた。


「今日も俺、かっこいい~。ってか?」


 なかなか洗面台から離れない創人に対し、一つ上の兄、(ごう)が戸に寄りかかりながらぼやく。けだるそうな声に台風に突撃したかのように荒れ狂った髪の毛、不機嫌な顔立ち、轟は創人と対照的であった。


「別に、そんなんじゃないし! ってか轟兄ちゃん、今日は一段とすごいね。大丈夫?」


「連休明けだってのに……いつも通りのお前がおかしいの。あぁ、ダル……」


「そんな嫌かなぁ? 久々の学校だよ? 友達も話したいこといろいろたまってるはずでしょ、連休明けだから! あ、終わったからいいよ」


 と、創人は洗面台の場所を譲った。創人の明るさは、朝の弱い轟には眩しすぎたのか、轟は軽く会釈をするだけでそれ以上は何も言わなかった。




 顔を洗い終えた創人は、朝食を食べるために居間へと向かった。


「お、この匂いは!」


 自分好みの香ばしい匂いを鼻で感じ取ると、創人の機嫌はさらに上昇し、軽やかな足取りで引き戸を開けた。


「おお~! やっぱり鮭だ! 今日は吉日確定! 」


 テーブルに並んでいたのは焼鮭を主菜とする日本料理たち。創人はそれを見て大きなガッツポーツを取る。


「やれやれ、鮭ごときで喜べるなんて幸せものだねぇ」


 三つ上の長男、(れん)がぼやく。彼もまた創人の明るさに冷めた対応をすることが多い。蓮は既に朝食を食べ終えていた。


「そんなこと言わないの。毎度喜んでくれるからこそ、作り甲斐はあるものよ」


 と、言ったのは母の響子(きょうこ)である。同じく食卓を囲みながら、創人に優しく微笑んだ。父親はおらず、母と兄弟三人の四人家族である。


「蓮も今度、水野(みずの)さんにリクエストするといいわ」


 また、鶴城家には家族のほかに二人の家政婦が住み込みで働いていて、それぞれ水野、木野(きの)という名前である。


「ああ、気が向いたらね。ごちそうさまでした」


 蓮は母の言葉を軽くあしらった。着ていた剣道着を整え、居間を去る。


「今日も稽古? いってらっしゃーい!」


 創人は元気よく手を振るものの、蓮は班の反応も示さなかった。




 朝食を食べ終えた創人は制服に着替え、在籍中である風雲児高校へ行く準備を整えた。

 学校へ向かう際、創人は毎日母親や家政婦の見送りを受ける。


「今日も気を付けていってらっしゃい。体調が悪くなったらすぐに先生に言うのよ。くれぐれも、危険なことに首を突っ込んじゃダメよ。あなたは大切な末っ子なんだからね」


 響子は創人が出かける際、必ず頭を撫で、抱擁する。俯瞰(ふかん)で見るとやや過剰に思えるかもしれないが、十七年以上もこのような扱いを受ける創人にとっては、自然なことであり、みじんも疑問には思わない。


 疑問に感じているのは、この家を俯瞰で見ている家政婦の二人であった。創人が外を出た後、木野と水野はお互いを見つめてアイコンタクトを取った。


「つかぬ事をお伺いしますが……。なぜ、創人様だけお見送りをするのでしょうか」


 鶴城家に家政婦として働き始めて約二年間、二人がずっと引っかかっていた疑問。代表して木野が恐縮気味に問う。


「あぁ……。そうね、傍から見るとえこひいきしてるみたいよね」


 家政婦からの唐突な質問に、響子は気まずそうに笑った。


「あの子さ、昔はすごい体弱かったの。だから今でもつい心配しちゃって……」


 響子は過去を思い返し、遠くを見つめていた。理由が分かると、木野は自責の念に駆られて唇を強く噛んだ。


「そうでしたか……。申し訳ございません、突然プライベートなことを聞いてしまって……」


「いいのいいの。さ、今日もいつも通りお願いしますね」


 木野の頭を上げさせた響子は、優しく穏やかな表情を向けた。


「私はこれから出勤だから」


 鶴城家は〈TSURUGI〉というグループ企業を経営していて、響子はその現代表取締役兼社長であった。独裁体制でなく、周囲の人間に決定権を与えながらその役割をこなしているが、いざという時は彼女の一声がグループ全体を大きく動かすことができる。




 車や自転車は使わず、二十五分ほどかけて高校まで歩くのが創人をルーティーンである。

 通学ルートはほどんと並木道や住宅街。人混みにのまれることなく、また創人自身も歩くことが好きであったので快適な通学路であった。


 学校に近づくにつれ、徐々に制服姿の人間が増えていく。ほどんとはブレザー姿であるものの、中にはブレザーを既に脱いでいる生徒もいる。創人のその一人だ。


 ここまではいつもの光景であり、特に目新しいものはなかったが、今日は校門前に妙な人だかりがあった。そのざわつきは、何かしらの問題が起きたことを知らせてくれる。


「ねえねえ、いったい何が起きたの?」


 創人は近くにいた初対面の女子生徒に声を掛ける。


「えっ!? 私ですか?私も詳しいことは知らないんですが、校門が無理やりこじ開けられてたらしいです。今先生たちが不審物置かれていないか確認してるっぽいです」


 女子生徒は急に話しかけられて驚きながらも、自分の見聞きした情報を伝えた。


「マジかー。怖いなぁ……」


 創人にとってはこの事態はまさに非日常、元々治安のいい街であったために、さらに不安が募った。


「おーい、創人! なあなあ何なんだこれ?」


 尋ねてきたのは小柄な男子高校生、創人の中学時代からの友人、厚木(あつぎ)である。


「ああ、実はな……」


 創人が又聞きの話をしようとした瞬間、校門の前に一人の教師がやってきた。


「みなさーん! 落ち着いて聞いてください!」


 特徴的な高いトーンの通る声を聞き、創人と厚木は声の主にピンと来る。


「お、アヤちゃんじゃね?」


 アヤちゃんというあだ名が付けられているのは綾瀬(あやせ)美代子(みよこ)という名の音楽教師であった。モデル顔負けの外見の良さと決して怒らない穏やかな性格から、生徒からの人気が特に高い。


「私たちが確認したところ、不審者・不審物は見当たりませんでした。一応警察にも連絡しましたが、問題なしと判断したので、本日は通常通り授業を行いまーす!」


 手を口に当て、できるだけ大きな声を出す綾瀬先生。中には休めると思った生徒からのブーイングがチラホラと聞こえてくる。


「先生も本当は休みたかったんだけどねー。こればっかりはねぇー」

 

 そんな冗談を交えながら、綾瀬先生は校門を開いた。


 騒ぎの真相はなんだったのだろうか――上機嫌だった創人は、水を差された気分だった。

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