第十一話
そこは校舎一階の一番端。家庭科室の隣の小さな部屋が、手芸部の城だった。
「いらっしゃ〜い!今日は終業式で早帰りだったから、もうらみんな帰っちゃったんだけど。私はどうしてもこれを完成させたくて!」
じゃじゃーん!
速水さんがひらひらと手をかざした先には、服を着たトルソーがあった。おそらく、ぼくちゃんにはこの服のモデルになって欲しいのだろうと思うが…。
「速水さん、確認するけど、この服のモデル?」
「そうなの!絶対ぼくちゃんに似合うと思うの!」
「そ、そう………。」
「あとは裾のレースを足して完成にしようと思ってたんだけど、モデルが着ている方が捗るわ!!」
俺達の視線の先にあったのは、真っ黒なゴスロリワンピースだった。ぼくちゃんは、背負っている指定鞄の紐を両手で握り、プルプルと震えている。
「絶対絶対、似合うと思うの!お願い、一生のお願いよ!この服のモデルは君しかいないの!」
速水さんの熱量が半端じゃない。
でも…、と俺は考えた。ただの小学生のターゲットが、こんな派手な格好をしていると思うか?
「このくらい振り切っている方が、案外いいかもよ?」
そう言ってチラリとぼくちゃんを見る。
ぼくちゃんは、しばらく俯いたままウサギのように震えていたが、意を決したように顔を上げた。
「わかった。速水さん、僕着るよ。」
そして、「覚えていろよ。」とでも言いたそうな目を俺に向けたまま、速水さんに引き摺られ、着替え用に設置されているらしいついたての向こうへと消えていった。
きゃっきゃっ!と楽しそうな速水さんの声をBGMに、俺は近くの椅子に腰掛けた。窓から差し込む陽の光は、少しだがオレンジに染まっていた。もうすぐ夕暮れだ。
俺は静かに瞼を閉じた。
今日は長い1日だった。ハプニング続きだったため、体に疲れが出始めている。
そっと、右ポケットの上からお守りをなぞった。それだけで、少し心が安らぐ。あと少し、あと少しだ。
もうすぐ…。
「白川くん!」
速水さんの声に、遠くにいた思考が一気に引き戻された。
じゃじゃーん!!
速水さんがついたての向こうから、ぼくちゃんの手を引いて、飛び出してきた。そこには、まぁ、見事なゴスロリ美少女がいた。本当に、少女だった。
「その髪、どうしたの?」
「あのね、コスプレ用のカツラ!本物みたいでしょ?これでどこからどう見ても、ちゅるちゅるロングのお姫様だよ!」
ゴスロリ美少女もとい、ぼくちゃんは終始無言だ。
「可愛いでしょ?」と嬉しそうに笑う速水さんに「そうだね。」と答えて質問した。
「この服、今日借りていいかな?」
「もちろん!あっ、写真だけ撮らせてね?このまま着て帰る?」
「ああ、そうするよ。」
今にも死にそうな顔のぼくちゃんは、白い壁の前で、カシャカシャと一眼レフカメラで写真を撮られている。上目遣いで座らされたり、赤いバラを持って立たされたりしていた。
速水さん、その赤いバラはどこから出てきたの?
女子の熱量、怖いです。
一通り写真を撮り終えて満足したらしい速水さんが、ニコニコと俺に声をかけてきた。
「白川くん、ありがとう!いい思い出ができたわ!」
「それは良かったよ。こちらこそ、服借りちゃってごめんね。また返す時に連絡するね。」
立ち上がり椅子をしまいながら返事をする。
「白川くん。」
速水さんが、真っ直ぐ俺を見つめてきた。
探るような視線に思わずたじろぐ。
「ねえ、背中…。知ってる?」
「え?なに?」
訊かれたことが分からず、首を傾げた。
速水さんは、少し考えるように俺の顔をみていたが、やがて首をふった。
「ううん。背中、凝ってるよ!お疲れさま!」
ふっと笑った顔は、いつもの速水さんだった。
ぼくちゃんの制服を紙袋に入れて、俺に持たせてくれる。
「またね、白川くん!」
速水さんに別れを告げた俺達は、足早に校舎を後にした。