第7話 予兆
その夜、俺は一人、宿木の元にいた。
どうしたものか。
あの男のあの目線……。
宿木を見上げる俺は、差綺の張った網を思い返していた。
この宿木だって、差綺が繋げた訳だしな……。
生命を繋ぐ……か。
あの男……丹敷と差綺との間にあった事を知っているな。
呪術医ならその力を手に入れたいと思うだろう。
……呪術医が集められた塔、か。一体、どれだけの呪法を知っているのか、使っているのか……。
それは差綺と同じように人体に関わる事が出来るものなのだろう。
だから呪術医なんだろうが……。
「貴桐さん」
俺を呼ぶ声に振り向く。
「なんだ? 差綺……うん? お前、どうした? 眼鏡なんか掛けて」
「どう? 少しは優しく見える?」
「はは。なんだそれ。誰かになんか言われたのか? ああ、丹敷にか?」
「まあね。それより……」
「お前も気づいてるって訳か」
「うん。そうだね」
「見てみろ、差綺」
俺は、差綺の目線を動かすように、夜空に浮かぶ月を見上げた。
僅かだが月に翳りが見える。
「……何か……事が起きる予兆だ」
「……うん」
「準備はしておいた方がいいな」
「……うん」
俺は、差綺をそっと振り向いた。
月を見上げたままの差綺。差綺にしては珍しく元気がない。
いつも笑ってばかりいる差綺が……。
……まずいな。
「ねえ……貴桐さん」
差綺は、月を見上げたまま、俺を呼んだ。
「なんだ?」
「……泣かないでね」
そうポツリと差綺は呟いた。
その言葉に何を思って言っているのかは、感じ取れていた。
差綺は、俺が一人でここに来た事で、俺が何を知ろうとしたかに気づいたから来たのだろう。
「差綺……お前……」
「僕の為になんて、泣かないでね」
目線を俺に向けた差綺は、そう言って笑みを見せた。
俺は、そんな差綺の抱えた思いに気づいていた。
「……バカヤロウ。俺が泣くような事をお前にさせる気はねえよ」
「うん。分かってる。でも……」
「少しは頼れ。差綺」
差綺が何を考えているかは分かっていた。
俺の言葉に頷く差綺だったが、本当はそう思ってなどいない事も分かっていた。
差綺は、何か事が起きる予兆……その起きる事が自分の所為だと思っている。
「外に出た事……後悔するんじゃねえぞ、差綺」
「貴桐さん……」
「俺は、お前のおかげで新たな宿木を見る事が出来たんだからな。祝ってくれただろう?」
「……うん」
「お前が興味を持った事は、必ず軸になる。だから後悔なんかするな」
差綺は、何も言葉を返さなかったが、笑みを見せると頷いた。
……差綺。
俺は、差綺の頭にそっと手を置いた。
「貴桐さん……?」
「じゃあさ……俺が泣くような事をするなよ、差綺」
「……」
「差綺」
「……ダメだよ、貴桐さん」
差綺の頭に置いた俺の手を、差綺はそっと掴んで頭から離した。
俺に目線を向ける差綺は、穏やかに笑う。
「……読まないで。僕の思考」
「じゃあ……」
俺の手を掴んだ差綺の手を、俺は胸元へと引き寄せた。
「お前が読め。俺が頭で考えている事じゃなく、ここで感じている事をな」
俯く差綺。その手は俺に触れようとしない。
指先を丸めて手を握り、触れる事を拒否している。
掴んだ差綺の手は、僅かに震えていた。
差綺は、俯いたまま、小さく呟く。
「……嫌だよ」
差綺は、俺の手を離そうとしたが、俺は離さなかった。
掴んでいる差綺の手首から伝わる脈が、少し速い。
……本当は怖いくせに。
一人で抱えようとする。
差綺は、ゆっくりと顔を上げると笑みを見せながら俺に言った。
俺にはその笑みが強がりにしか見えなかったが、それでも心配させないようにと、一生懸命に作ったその表情を認めない訳にはいかなかった。
差綺の手が、俺の手を解いて離れた。
「嫌だよ、貴桐さん。それを知ったら僕は、その時こそ後悔する」