第5話 回帰
塔の様子を窺っていたが、変わった様子は感じなかった。
……上手く潜入出来たか。
「……もし……中に入らざるを得なくなった場合は、ペイシェントはどうする……?」
侯和は、塔を見つめながら不安を口にした。
「この塔にいる呪術医全てが、そうだとは思いたくはないが……どうなんだ、侯和。お前が見てきた限りで、そんな呪術医がいると思うか?」
「……そうだな……」
侯和は、返答に迷う。
一度、目を伏せた後、また塔へと視線を向けたが、その目線は塔の上階を見ていた。
侯和は、少しの間、目線を動かす事はなく、口を噤んでいた。
……誰かいるのか。僅かでも、その可能性がある呪術医が。
だがそれも、そうだと言い切る事が出来ない……か。訳ありか。
侯和は、俺を振り向くと、うっすらと笑みを見せながら呟いた。
「……遠いな」
『……遠いな』
手を伸ばすだけじゃ届かないと知っている。
ただ眺めているだけでは、そこにいる事さえも気づいては貰えないだろう。
……待っているだけでは、当然の事だ。
「遠くねえよ」
「貴桐……?」
俺は、侯和から目線を外し、塔を見上げると、言葉を繰り返した。
「遠くねえ」
そう言った俺に侯和は、そっかと小さく呟いた。
どのくらい時間が経っただろうか。少し陽も落ちて来た。塔に入ったまま、中々出て来ない一夜に、塔に入るかと思い始めると、俺たちのところへと向かって来る姿が目に入った。
「…… 一夜……?」
侯和は、首を傾けながらそう口にしたが。
……違う。
『彼』だ。
「お前…… 一夜は? 会っただろう?」
『彼』を目の前にした俺は、そう訊いた。
『彼』は、微笑を湛えながら、俺を見ている。
そして、小さく口を開き、俺にこう言った。
「坏は……満ちました」
その言葉に俺は、眉を顰めた。
「……お前……」
『一夜を連れてここを離れろ。その記憶を蘇らせるのは、五年後だ。それまで……』
俺は、『彼』を目前に捉えながら、思い出していた。
『姿を現すな……綺流』
姿を……現すな。
……そう……いう事……か。
「おいっ……! 一夜っ……!」
侯和の声に、ハッとするように振り向いた。
「一夜……!」
目を向けると、一夜が倒れている。
『彼』がいた方に目線を一瞬戻したが、その姿はなかった。
……塔に戻ったか。
俺は、一夜へと駆け寄った。
声を掛けても一夜は目を開けず、侯和と一夜を抱えて家に戻った。
いつの間にか侯和の姿が見えない。
……あいつ。
一夜を咲耶に任せ、侯和を探すと、侯和は診察室にいた。
声を掛けるつもりだったが、侯和が薬の棚から瓶を手にした事に、俺は声を掛けずに見ていた。
あの棚には、幻覚剤がある。手に取ったのは、それか……?
侯和は、瓶を開ける事はなかったが、手にしたまま何やら考えているようだった。
その表情が、なんだか思い詰めているようにも見えて、俺は侯和に声を掛けずに一夜の様子を見に戻った。
部屋からは、話し声が聞こえた。
どうやら目が覚めたらしい。
咲耶は、自分たちに何が起きて塔に行く事になったのかを話していた。そして、一夜は塔で『彼』と会った事を話していた。
親身に一夜の話を聞いていた咲耶は、一夜に訊ねた。
「『彼』の名を聞きましたか?」
俺は、部屋へと入った。
一夜が咲耶に答える。
『……それまで……姿を現すな』
「『綺流』と言っていました……」
一夜は、言葉を続けた。
部屋に入った俺を振り向く咲耶に、俺は一夜のその言葉を聞きながら、もう話すしかないだろうと眴した。
「そう呼んでいたのは、圭だけでしたが」