第28話 取引
一夜の前に現れた『彼』は、一夜の中へと入り込むようにその姿を消した。
だが、一夜は頭を抱えながら、『彼』と会話を続けている。
意識の中に入り込み、取引でも始めたか……。
元々は、一夜の中にあったものだ。不足を補うなら、『宿』から持って行くのが道理だろう。
「圭っ……! 待って……! 待ってよ……!」
一夜は、圭の名を呼びながら、頭を抱えていた手を何かを掴むように動かした。
圭の姿まで見えているという事か。
……圭の意識が飛び込んだという事は、やはり分離された……。
それなら尚更だな……。
一夜の様子を見ながら、俺は思考を巡らせていた。
そして、一夜が言った次の一言に、俺の目がピクリと動いた。
「印って何? 待ってくれ……圭……!」
……印。
契約だと……? 一夜を継承者にするつもりか……?
一瞬、そう頭に浮かんだが、そんなはずはないだろうという考えの方が強かった。
圭が分離されたとしたなら、『彼』を手放すのは自分を危険に晒すだけだ。そんな状態であったなら、一夜に戻すはずがない。
そもそも圭にだって、来贅に近づく目的がある。その為に上層を目指し、『彼』を連れていたのだから。
……侯和だって……。
そして、その後に続いた一夜の言葉で、圭の覚悟を知った。
「……分けたって……何……」
分けた……。そういう事か……。
じゃあ……。
一夜の言葉に気づくものがあった俺は、この後に一夜がどうなるかは見えていた。
俺は、一夜から視線を外さなかった。
「うっ……」
一夜は、胸を押さえ、苦しそうに声を上げると、膝をついて震え始めた。
「一夜っ……!」
一夜が突然苦しみ出した事に、侯和が慌てながら、一夜へと走った。
俺はその後をゆっくりと追う。
息苦しいのだろう。それでも何とか呼吸を整えようとしているが、追いつかないようだ。
「大丈夫か?」
侯和がそう声を掛けると、一夜は途切れ途切れに言葉を吐き出す。
「息が……心臓が……やたらと大きな音を響かせる……まるで……」
苦しさに顔を歪ませる一夜。後の言葉を俺が答えた。
「心臓が二つあるみたいにか?」
そう言った俺を、一夜が驚いた顔で見上げた。
その瞬間に大きく鼓動が響いたのだろう。苦しさを和らげようと、自分を落ち着かせているようだった。
俺は、地面に座り込んだ一夜と目線の高さを合わせた。そして、一夜の手を掴み、苦しさを訴えている胸へと持っていった。
「分かるか?」
「……どういう……事……」
その手に伝わった感覚に、一夜は混乱しているようだ。
まあ……当然だ。
一夜の中に圭の心臓があるんだからな……。
圭が差し出したのは心臓……って事だ。
あいつ……知っていたのか。だから……心臓……。
『心臓に宿りし力を持った者』
来贅と同等……またはそれ以上。
『選ばれた者』になる為に持った覚悟……それには心臓を差し出したって事だ。
一夜は苦しさに耐えきれず、地に体を預けるように寝転んだ。
俺は正直複雑だった。
そうだと分かっていても、この覚悟は……。
これで……来贅に立ち向かうとするなんてな……。
『自身の体の中にあるもので契約……』
来贅の言葉が頭の中を駆け巡る。
『これで私と互角になれたかな……?』
……圭……お前は……。
『お前が差し出したものの『価値』が、それ以上を掴んだのなら取り戻せるはずだからな……?』
息苦しさを耐えようとしている一夜だったが、それ以上に心を苦しませている事だろう。
その苦しさと混乱が一夜を叫ばせた。
「わああああああああああああーっ……!!!」
その叫び声が。
以前の俺と重なって。
……目を閉じた。




