第10話 難易
「俺が選ぶのは、下層だ」
はっきりとした強い口調で答えた俺に、来贅が静かに笑う。
「下層……? ふふ……やはりお前は面白いな」
そう答えながら来贅は、興味深そうな目を俺に向けた。
「上を望めば私に近付けるというのに、わざわざ難易なものを掴む……か」
来贅の目線を、変わる事のない強気な態度で受け止める。
睨むように来贅を見ながら、俺は口を開いた。
「お前こそ忘れていないだろうな?」
俺の言葉に、来贅の目が真意を窺うように下から上へと斜めに動く。
俺は、来贅の目の動きを捉えたまま、言葉を返した。
「来贅……お前に安易に近付くのは愚か……そうじゃなかったのか」
来贅は、そう答えた俺の目線を捕まえるように見ながら、多少の間を置くと、またふふっと笑みを漏らした。
「少しは考えるようになったか。それとも……」
来贅の視線が、俺の後ろにいる咲耶をちらりと見た。
「…… 一人では足りない……か?」
「……黙れ」
「ふふ……まあいい」
ゆっくりと瞬きをする来贅は、再び俺に向ける目に冷酷さを見せた。
その後に吐き出した奴の言葉に、己の立場を呪わせた。
……ジジイ。
本当に俺でよかったのか。
そんな言葉が俺を後悔させる。
そうしてまた浮かぶ言葉に、己をまた呪うんだ。
どうして俺を……選んだ、と。
最後に決めたのは、自分なのに。
そして……。
何故……死んだんだと、苛立ちを含めた悲しみまで浮かばせる。
……冗談じゃねえ。負けてたまるか。
「『主』は一人で十分だ」
現実に置いてきた言葉は、言霊となり、付き纏う事柄が終わらない限り、いつまでもついて回る。
「即座に答えを出すのは感心しないが、今のお前ならそれもいいだろう」
来贅のその言葉は、俺がもう主と呼ぶに値しない……そう言っている。
……構うものか。
もう一つ……忘れている訳ではないだろう、来贅……?
『時節を待つのは、お前たち呪術師がよくやる事だろう?』
それもお前が言っていた事だ。
不本意だ。
そう思う気持ちは大きくなるばかりだが、それはそうすると決めて掴んだものだ。後悔する方が間違っている。
今は……まだ。時が来るまで。
その言葉で自分を落ち着かせるしかなかった。
新たに羽織った服の色がやけに青くて。
その青さがあちこちに目に映る事に、気鬱な溜息が漏れたが。
それでも……。
大勢のペイシェントと、下層階の呪術医の中を通り抜けて行く。
聞こえてくる言葉が耳を掠めたが、気に留める事はしなかった。
表情なんていくらでも作れる。
皆、そうやってその場に馴染んでいくのだろう。
その中で探す、一人の姿。
そいつはやはり、問題のないペイシェントはそれ以上、中に通さず帰している。
俺は、その肩を掴んだ。
「苦痛は……緩和出来たか……?」
振り向く顔は……そうだ。
咄嗟に出る表情に嘘はない。その後に理性が働いて思惑を隠す為に、表情を作っても。
いい奴かどうかは判断出来る。
俺は、笑みを見せるその表情に、笑みを返してその名を呼んだ。
……敢えて。
「コウ」
そう呼んだ俺に侯和が、俺を呼び返す。
それでいい。
互いに秘めた思いがあるなら。
それがその思いの確認になるだろう。
俺は、その声を聞きながら、ふっと笑って頷いた。
それでもまだ、その思いを互いに口にする事はない。
「待っていたよ……タカ」