第28話 不足
「来贅……お前……」
……このやり方は。
悔しさにギリッと歯を噛み締める。
俺とは対照的に笑みを見せる来贅は、俺がどう動くのかを楽しみにしているようだった。
地についた手。指先をそっと滑らせる。
弾かれるように跳ねた土が弧を描いて伸び、来贅を叩き付けたが、それでも奴は、動じる事もなく直ぐに切り抜ける。
大きく動いた来贅の手が、舞い上がる土埃を払った。
俺は直ぐに立ち上がり、地に足を滑らせ円を描くと、風が体を擦り抜けた。
描いた円から蒼い光が弾けると、風と共に来贅を追う。
込み上げた俺の怒りに同調するように、雷鳴が響き始めた。
薄暗くなった空に這う稲光が、俺を照らしていた。照らし出される俺の表情は、この上ない程の怒りを顕にしているだろう。
「貴桐さん……!」
咲耶の声が聞こえたが、来贅を追う俺は、咲耶を振り向く事はなかった。
……俺が望み、この手に掴んだもの。
これが俺を変えると言うのなら、それでもいいと思っている俺は、俺自身を捨てたのだろうか。
咲耶に訊いたあの時の言葉は。
俺自身への問いでもあった。
『俺はまだ……俺のままか?』
来贅を追いながら、ポツリと呟く。
「許容を超えたら侵食するって……こういう事かよ」
抑え切れない怒りは大きな憎しみと重なって、目掛ける相手を容赦なく潰そうと力を奮う。
そこに浮かぶ言葉は、自分を正当化するように、相手の命を奪う事でさえ、善悪の判断を麻痺させた。
抱えた感情を吐き出す為に利用するのは力の発散で、この感情と同等に力が放出する事が出来なければ、不快に終わる。
負の感情は、更に自分の不覚を上乗せして膨らんでいく。
だからこそ望むものは、この抱えた感情と『同等』に吐き出せる力……。
ではなく。
この身さえ捨て切ってでも、それ以上の結果を求めている。
この身を捨て切れば、その結果が手に入るなら……。
「来贅っ……!」
空を這う稲光が、俺の手の動きに従った。
来贅に浴びせる閃光は、確かに打撃を与えていたが、奴を追い詰めるまでに至らない。
それ以上の結果……。
許せないという思いが、悔しさと憎しみを吐き出させて、善悪の判別など問題にならずにその生命を断つ事を目的とするのは、大きな代償を伴う事だろう。
それが手に入るのなら、望まないものを掴む事も容易な事だ。
それでも。
払う代償が賄い切れないのなら、不足した分は……。
来贅を掴んだ手は一瞬で弾き飛ばされた。
地へと叩き付けられる体に、咄嗟の自由が効かない。
「チッ……!」
仰向けに倒れ込む俺の上から、来贅が襲い掛かって来る。
来贅の手が俺へと伸びた瞬間。
バリッと鈍い音が響くと、俺の視界から来贅が消えた。
『それでも払う代償が賄い切れないのなら、不足した分は誰が払う?』
新たに俺の視界に飛び込む姿。
俺は、その背中を見ながら立ち上がった。
明るい茶色の長い髪は、一本に束ねられている。
思わず漏れた苦笑に、俺は冷静さを取り戻した。
「貴桐さん……あなたはあなたのままでいて下さい。あなたがやるべき事に代償が伴い、そこに払い切れない代償があるのなら……」
咲耶の隣に立つ俺は、再び来贅を目に映す。
咲耶の張った結界が、来贅を弾いたと分かった。
膝をついていた来贅が立ち上がると、俺たちに視線を向ける。
来贅のその表情は、やはりこの状況を楽しむかのように、笑みを見せていた。
「……咲耶……」
咲耶が俺に何を伝えてくれるのかは気づいていた。
ゆっくりと俺を振り向く咲耶は、いつものように穏やかな笑みを俺に見せた。
「その分は、僕が払います」
「いや……」
俺は首を横に振り、咲耶の肩にそっと手を置くと、来贅を見据えながら咲耶に伝えた。
「咲耶……お前に代償を払わせる訳にはいかない。俺の力不足は、お前がいれば補える」




