最終話 巡
坏は満ちた。後は流れて零れ落ちるだけ。掬わなければ、全てが地に沈む。
『自分の力の限界だとでも思ったか?』
皮肉めいた口調で、生意気にも言った俺の言葉にもジジイは、ただ穏やかに微笑んでいた。
月に留まる光は、零れるように坏へと落ちて、そこに触れる手が届かなければ、地に沈んだまま、形を表す事はない。
……そこに触れる手が届かなければ。
その声も届かない。届ける事が出来ない。
ジジイ。
あなたの意思を継いだ俺がここにいる事で、あなたの恒常は果たされたか?
それとも、それがあなたにとっての無常だと、一生を貫くつもりだったか?
後世に残すものはないと、その力さえ使い切ってしまっても。
時が経つにつれて薄れていく記憶は、胸に刻まれた思念を頼りに追い求め、探し続ける。
失ってしまったという悲しみと、自分が選んだ選択肢を悔やみ続けて、ただ一言でも言葉を伝える為に。
俺たちが今、ここで目にしているものは、胸に刻まれた思念……魂の記憶だ。
来贅にとって憎むべきものだったのは、自分自身であっただろう。
本当ならば、死ぬのは自分であったのに、自分の代わりに失いたくない者が死んだ。
『皆……本心はこう思っているんじゃないのか。全ての臓器を取り替えて、新たに作り直す事が出来たなら、苦痛に耐える治療も、いつ死ぬとも知れない恐怖も全て取り払えると。勿論……『器』はそのままで、な……』
以前に奴が言ったあの言葉は、自分に対しての言葉でもあっただろう。
「それが……最期の言葉だったから」
そう答えた圭は、宿木の下にうっすらと浮かぶ二人の姿へと目を向けた後、一夜へと目線を変えた。
「……圭……」
一夜の表情は、少し不安そうだった。
圭は、穏やかな笑みを見せると、一夜の髪へと手を伸ばした。
「『大丈夫』一夜」
「……圭」
「どんな形であっても、どんな姿であっても、互いを知っている事がなかったとしても……必ず会う日が来るんだって。それが……」
圭の言葉を耳にしながら、俺はふっと笑った。
「『巡り合い』だから……と」
来贅の目が、ゆっくりと俺に向いた。笑みを見せるその目は、言葉を伝えてくるようだった。
不遜にも見えるその笑みに、呆れた顔を俺は見せる。
『今度の主は、中々に面白い』
来贅の手と綺流の手が宿木を仰いだ。
光の粒が弾けて舞うと、地へと粒を落とし始める。
辺りに光が広がると、その中に二人の姿が溶け込んだ。
地に沈み出した光の粒は、次々と新たな光を地から浮かび上がらせ、音を伝え始める。
……ジジイ。見てるか。
その声は聞こえるか。
だったら答えてくれよ。
俺は……。
「……貴桐さん」
驚きを見せる咲耶の声は震えている。俺は、笑みを見せながら、咲耶の肩を軽く叩いた。
咲耶の目に涙が滲んでいたが、表情には笑みが見えた。
あははと楽しそうにも笑う差綺の声に、理解速度の遅い丹敷の問いが重なった。
近付いて来る地を踏む足音。
その姿が目に映ったと同時に響く声。
暫くの間はその言葉に違和感しかなかったが、今は懐かしくも耳に馴染む。
「「主様」」
ジジイ。
俺は全てを掬えたか。
風の音。木が揺れて葉を鳴らす音。そんな音がまるで言葉を投げ掛けているみたいに、聞こえる時がある。
『貴桐……だからお前だと言っているんだよ』
「当然だろ」
俺は、笑み混じりに呟いた。
俺の体を緩やかに抜ける風が、言葉を置いていく。
『いい答えだ、貴桐』




