第30話 戻
後継者についての話があると、ジジイに呼ばれたあの日に見ていた空。
あの時も今も、空の色は変わらない。同じように月が浮かぶ夜空を、掴むように手を伸ばした。
『遠いな』
あの時、呟いた言葉は。
……今は。
夜空を見上げながら、侯和との会話を思い出す。
『遠いな』
『遠くねえよ』
……ああ、勿論だ。
「遠くなんかない」
そう呟いて、伸ばした手をギュッと握った。
差綺と共に宿した宿木を振り向いた。
ゆっくりと瞬きをすると俺は、宿木へと歩を進め始めた。
俺の後に皆がついて来る。
……ジジイ。
『あれが……私の力だ』
宿木を見上げながら、思いを吐き出すように口を開く。
「戻って来たよ……ジジイ」
『だから……お前だと言っているんだよ、貴桐』
坏に満ちた力は、溢れて、零れて、地に沈む。
……掬わなければ。
『貴桐……お前は、黙って沈みゆくものを眺める傍観者になれるか?』
自分が歩いてきた道の中には、いつでも答えが広がっていて、歩いている時には何の迷いもなく辿り着けるものだと思っていた。
進みゆく時の中で、広がっていた答えを拾いながら、ようやく、どれが必要な答えだったのかを認識する。
風がサアッと微かな音を立てて、緩やかに流れていった。
宿木を宿す木の枝葉、宿木の枝葉が揺らされ、カサカサと鳴いた。
丸い月から溢れる光が、ここにいる者へと降り注ぐ。
「……差綺」
「なあに? 貴桐さん」
にっこりと笑みを見せながら、俺を見る差綺の頭にそっと触れた。
「あの言葉……お前は共感したんだな」
「……うん。そうだね」
「だから……俺がこうしているんだろう」
『僕の為になんて……泣かないでね』
「あはは。繋がったね?」
「差綺……本当にお前は……」
俺の呆れた顔を見て、差綺はクスリと笑う。
興味深そうに、楽しそうに笑う。
差綺の頭から手を離し、俺は深く息をつくと言った。
「解放するぞ」
俺の言葉に、皆が横に並ぶ。
俺は、宿木を宿す木の幹に手を触れた。
そして、ずっと頭の中に響き続けていた言葉を口にする。
「望む事、全て、思いのままに……」
そう口にすると俺は木を見上げて、言葉を続けた。
「『返すから……返してくれ』」
吐き出された言葉が、切なくも感じていた。
何の感情にも揺るがされる事のなかった奴の、その表情に歪みを見せた言葉だった。
『返すから……返してくれ』
その時に必要だったものは、全て捨ててしまっていた。
一刻の猶予もなく、その姿が消えてしまった訳じゃない。
自分が生き永らえた後には、必ず救うと、救えると思っていたものが一気に崩れた瞬間だっただろう。
……もう……戻っては来ない。
そんな諦めの言葉が絶望を呼び、それを掻き消す為の術を講じる。
自分のやった事が間違いだったと思いたくないからだ。
俺は、ゆっくりと目を閉じた。
ふわりとした感覚が、俺の体に伝わる。
その感覚が抜け出すと、目を閉じていても分かる光が見え、俺は目を開けた。
ザアッと強く風が吹き抜ける。
俺が目にしているものが真意なのだろう。
……ずっと。
一つも違う事ない、その姿に。
宿木の下で手を取り合う二人の姿が浮かんでいる。長い白髪がそっと揺れていた。
互いを見合ったまま、同時に口にする言葉に、俺はそっと目を伏せた。
「「会いたかった」」
互いに聞くその声も。
変わっていないだろう。




