第6話 託
「香は焚かないんだよ、貴桐。使うものの意味を知りなさい」
穏やかな笑みの中に見える、俺を試すような目が見えた。
気づく事が出来るか……と。
「香は焚かない……使うものの意味……」
言われた言葉を呟く俺は、書物を開いてもう一度読み始めた。
何度も何度も読み返した。
書かれている文字が動く事はない。
俺が答えた通りの言葉が綴られている。
香は焚かない……なのにここには、香を焚くと書いてある。
……何故。何故、書いてある……?
そもそも……何故、香を使う……?
ああ、そうか。そうだよな。
ハッと何かに気づいた俺に、ふふっと笑う声が耳に流れた。
その声に、ゆっくりと俺はジジイを振り向いた。
穏やかに笑う目が、俺の答えを待っている。
「香は邪気を祓い、浄化する為に使う。死者を呼び戻す為なら、意味が合わない」
俺はそう答えたが、その言葉に頷く事も、返答もなかった。
ただ笑みを見せて、俺を見ている。
……合っている……よな……?
俺の目が一瞬、迷いに動いたが、目線が定まったところは、ジジイの目だった。
その瞬間に、俺の手から書物が奪われた。
「あ……」
その動作に俺は思わず声を漏らしたが、俺は書物を追う事はなかった。
あの時の……ジジイの目が、あまりにも気になって。
俺は、書物よりもジジイの目を見ていた。
そしてジジイは、俺の目をじっと見るとこう答えた。
「お前は私に『媒体』を託したな。移したと言ってもいい」
衝撃を受けた。その言葉に。
答えを探していたのは、書物の中であったのに、気づきを得たらその答えが本当に合っているのかを、俺はジジイに求めた。
全て知っているのはジジイであって、ジジイの中に答えがあるんだと……思ったんだ。
俺は書物よりもジジイが持っている答えが正しいと、ジジイが『本物』であると答えを出したんだ。
ジジイは、また俺に問いを投げ掛けた。
「では……貴桐。媒体を私に移したお前は、どう使う?」
「どうって……なんだよ……」
ジジイは、ふふっと笑みを漏らすと、頭の中を示すように、自分のこめかみに指を当てた。
「この中を知るのには、どうすれば叶う? 私は、これ以上の話はしないぞ。この書物のように、目に見えた言葉もない。さあ……どう探す、貴桐? お前が私に媒体を移したからだぞ。見えなくなってしまったな」
「な……」
こんなふうに導かれる事になるとは、思っていなかった。
ジジイは、楽しそうに微笑んで言葉を続けた。
「香は焚かない……この書物とは違う事を『この媒体』……つまり私はそう伝えている。貴桐、お前は使うものの意味を知り、書物に書かれている事が違っているのではないかと、疑念を抱いた。それは『信用』する度合いがどちらが大きいか……自分の知識と重ね合わせたから生まれた結果だろう。だが、この書物にしても、私にしても、筋道を教えている事は確かだ」
ジジイは、手にした書物を俺に渡した。
「貴桐」
重くも静かに響いた呼び声に、俺の目線が動く。
その顔に笑みはなかった。
目を合わせたまま、少し間が開いた。
そして、重くも静かな声が、また俺に訊ねた。
「では何故、香を焚くと書いてある?」
俺は、ジジイに書物を渡し返して言った。
「この書物は……仮託だからだ」