第5話 疑
あれは……いつの事だっただろう。随分と遠い記憶だ。
ガキの頃から、ジジイの書物部屋に勝手に入っていた。
「また……ここにいたのか」
「……ああ」
書物に目を通しながら、俺は返事だけした。
「何を覚えたいんだ? 貴桐」
「……」
覚えたい、じゃねえ。
そう思ってはいたが、口にはしなかった。
「ふふ……そうか。では……何を使いたいんだ?」
俺は、少し驚きながら、目線を向けた。
知識だけを得ようとしている訳ではなかった。
ジジイは、それを見抜いたんだ。
その口調は穏やかで、勝手に部屋に入った俺を咎める事はしない。
俺は、目を向けていた書物を閉じ、穏やかな笑みを向けるその目を見て答えた。
「反魂」
なんて答えるだろう。
その穏やかな笑みは、真逆に変わるのだろうか。
そう思いながら、はっきりと言った。
そもそも、そう思うのは、この術を使おうとする呪術師は殆どと言っていない。
出来るとか、出来ないとかの問題ではなく、使う事に躊躇する。
命というものの重ささえ、分からなくなるかもしれない。
死者を生き返らせる事が出来るという呪術なのだから。
それを好ましく思う者は少ないだろう。
ただ……俺は、無闇に使いたい訳ではなく、本当にこれが使う事が出来るものなのかと理解したかった。
俺の頭に手が伸びる。
叩かれる……と思ったが、その手は優しくも俺の頭に乗せられた。
表情も変わらず、穏やかな笑みを見せている。
「必要なものは?」
確かめるように、そう俺に訊いた。
俺は、穏やかな目線を受け止め、戸惑う事なく答える。
「薬草、香……骨」
「どう使う?」
「香を焚き、全ての骨を並べて繋げ、薬草から絞った雫を集め、それを骨に隙間なく塗る」
「そして?」
「七日間は、物を一切口にせず、全部で十四日間、休む事なく祈りを交えた呪文を唱え続ける」
「何故、香を焚く?」
「何故?」
俺は、眉を顰めた。
「そう……何故だ?」
「……書いてあるだろ……そう書いてあったんだ」
「では……何故、書いてあると思う?」
「何故……って……」
ジジイは、俺がどのくらいこの書物を理解しているのかを確かめるように、何故を繰り返した。
『何故』が、繰り返されるごとに、俺の答えるスピードが遅くなっていく。
そしてジジイは、俺の頭をポンポンと軽く叩いて言ったんだ。
「それでは、理解出来たとは言えないな、貴桐? それでは覚えただけで、使えないぞ?」
揶揄うようにも楽しそうな顔をして、俺の顔を覗き込むように見た。
「貴桐…… 一つ、言っておこう」
急に真剣な顔を見せた事に、俺の目線がその目を見る事から離れなくなった。
「『媒体』に導かれ、繋がったものが『媒体』を理解出来なければ、解く事も使う事も出来ない」
「『媒体』……? 解く……? 使う……?」
「ああ。お前が手にしているその書物も『媒体』だ。だがどうだ、貴桐? お前はその書物と、本当に繋がったと言えるか?」
「どういう……意味……?」
「『媒体』を疑えと言っているんだ」
「疑う……?」
「ははは。まだ難しいか。だが……いずれ理解出来るだろう、お前なら」
俺は、手にした書物をじっと見つめた。
そして、その後にジジイが言った言葉を、今の俺はよく理解出来ている。
「香は焚かないんだよ、貴桐。使うものをまず、理解しなさい。使うものの『意味』を、だ」