第11話 接触
一夜は翌日になっても眠ったままだった。心労も相当だ。
俺は、差綺が網を張っていた宿木を眺めていた。
差綺の事だ。その時が来るまで見えはしないだろう。
やはり思った通りだ。今はもう見えはしない。
昨夜、差綺が網を張っているのが見えたのは、差綺にしても気づいて欲しい事でもあったのだろう。
あいつが誰かに気づかれるような、網の張り方などするはずがない。
差綺の網は、誰にも気づかれないように、いつの間にか張られている。
俺はふっと笑みを漏らして俯くと、直ぐに顔を上げて宿木を見た。
「……ちゃんと気づいてるよ、差綺……」
そう呟くと、パラリと葉っぱが落ちてきた。
だがその葉は、あの時のように俺の目の前で止まる事はなく、地に落ちた。
俺は、落ちた葉をそっと拾った。
「……差綺」
拾った葉をぎゅっと握り締める。
あいつも覚悟を持ったって事だ。
それなら俺は。
それ以上の覚悟を持つのが当然だ。
ざわざわと木が風に揺れる。
回るように吹き抜ける風が、多くの葉を奪い始めると、陽が翳り始める。
俺は、大きく揺れる宿木の枝を見上げた。
雨のように葉が降り落ちる。
「……」
俺は、その様を無言で見つめていた。
その視線は、一点に集中している。
ピンと張ったような空気感が間にあった。
「……姿を見せる気はないか……?」
俺の声が沈黙を破ると、頭上からクスリと静かな笑みが降り落ちた。
昨日、手にしたあの書物には、様々な事が書かれていた。
勿論、それは伝説であり……この世における事実でもある。
誰もが手にしたいと望み、掴もうと試みる。
そして掴んだ者は、それが事実と掴んだものを離す事はない。
俺があの書物を手にする事が、これに繋がったか……。
あの書物も一種の媒体って訳だ。
それとも、俺がそこに辿り着く事も……思いのままだったって事か……。
葉が降り落ちるカサカサとした音が、静かに流れていた。
問い掛けた言葉に返りはない。
間が開く中で、俺はふっと笑みを漏らした。
どうやら……中々に困難なようだ。
こんな形で阻まれるとは……な。
それなら……。
俺は、指先をそっと静かに弾くように滑らせた。
その瞬間に差綺が張った網が真っ赤に光って、網が露わになった。
「……貴桐さん」
差綺が俺の背後に現れた。差綺の網に触れれば、差綺は直ぐに気づくに決まっている。
「……お前のしようとした事には気づいている。それなら……やれ」
「うん」
差綺は、俺の前に立つと、網を引くように手を動かした。
宿木を見つめる差綺の目が鋭く光った。
「逃げられるなんて思わないで……ね……?」
差綺は、そう言ってクスリと笑うと、網をグッと引いた。
バサバサと葉が大量に落ちる。
差綺の手元と宿木に張った網が繋がると、その糸に赤い雫がポタリと伝った。
……血か。
締め上げられる苦しさに漏れる声が、一度だけ聞こえた。
だがその後には、何も聞こえなくなった。
「差綺」
俺は、差綺に警戒しろと眴する。
差綺にも気づいているようだ。差綺が掴んでいるその糸に反応が見られないのだろう。
差綺は、瞬きもせず、捕らえただろうはずの網の方向をじっと見ていた。
俺は、差綺の手にそっと触れた。
「……離していい」
「……」
差綺は、目線を変える事もなく、その手の力を緩める事もなかった。
「離せ、差綺」
「……」
……まずい。
「差綺っ……!」
バチバチと火花が上から散ると同時に、俺は差綺の網を切り、差綺の腕を強引に引いた。
突風に押し寄せられ、地に触れるように屈む。
風が止むと、近くなった気配に目を向ける。
そこには、鋭い目の髪の長い男が、俺たちを見下すように立っていた。
俺と目が合うと、口の端を歪ませてニヤリと笑うと口を開く。
「お前が『主』か。それなら……」
あの書物に書いてあった事……。
精霊の力を手に入れた者のその存在が、他に何を求めるというのか……。
今以上……それ以上……。
男は、クスリと嘲笑するように笑うと、言葉を続けた。
「それなら私から奪ってみるといい」