第9話 不穏
「助けて……下さい」
俺は、少年の様子に眉を顰めた。
意識は何処にあるのか、その言葉を言う事だけが、今にも切れそうな糸を繋ぎ止めるように繰り返す。
何度も、何度も。
まるで……その言葉が、この少年に絡みつく呪いのようだ。
崩れるように地面に膝をつき、それでも抱えた不安を委ねたいのか、力なくも伸ばす手は、誰かの手が掴んでくれる事を求めている。
大体の予想はついていた。
塔絡みだろう。
咲耶が少年と目線の高さを合わせて屈んだ。
「どうされましたか。お話を聞かせて下さい。話せますか?」
咲耶の穏やかな声が、少年に向けられた。
だが少年は、目の前に咲耶がいるというのに、目線が定まらない様子だった。
掴みたくても掴めない……そんな様子だ。
咲耶は、フラフラ揺れる少年の手をそっと掴んだ。
その瞬間に、少年の目が意識を取り戻したように、ハッとする。
正気に戻ったのか、思い出した事があまりにも大きな衝撃だったのだろう。ガクガクと震え出し、おそらく自分が目にしただろう出来事を、単語を並べるように呟くのが精一杯のようだ。
……やはりそうか。
『死人でも出たか』
俺と咲耶の目線がちらりと合う。
「家の中で話を聞こう。咲耶、彼を案内してやってくれ」
「分かりました」
咲耶が少年の腕を取り、立ち上がらせた。
……うん……?
「どうしましたか、貴桐さん」
「……いや」
宿木が……青く光ったような……。
気の所為ではないだろう。
それにこの少年……抱えてきたものが相当重い。自分でもそれは本能的に分かっているのだろう。
正気のまま抱え続ければ、間違いなく潰れる。自己防衛を張ったか、意識を少し自分から遠ざける事で、自我を失わずに済む術を持っている。
それにしても……。
呪術医が集まる塔……か。
人の生死に関わる呪術医が……聞く話だけでは死に関わる事の方が多そうだ。
どうやら呪術医を囲うだけが目的でもないようだな。
少年の名は、藤邑一夜といった。
一夜の話によると、世話になっていた呪術医夫妻が塔に連れて行かれ、亡骸となって戻って来たという。
塔の影に隠れながらも診療所を開いていた他の呪術医も、まるで罪を犯した者のように扱われ、それは聞くに耐えない内容だった。
塔に自ら進んで入った呪術医と、仕方なく入った呪術医。そして拒否した呪術医。
皆、呪術医だというのに意見は分かれ、対立するようになっていったというから、正直、呪術医というもののあり様を疑ってしまう。
……何の為の呪術医だ。
そもそも医術に呪術を交えてまで、技量を高めたかった目的を見失っている。
医術に呪術を……か。
こんな様にならない目的など……気に入らないな。
起こった事全てを吐き出した事で、緊張の糸が緩んだのだろう。
話を終えると一夜は、パタリとその場に倒れた。
咲耶が一夜の首元にそっと触れる。
「長い間、眠る事も出来なかったようですね……疲れたのでしょう。眠っています。貴桐さん……どうしますか」
「……ああ。そのまま寝かせてやれ」
「はい。それにしても……酷い話ですね……」
「……ああ」
「人の命を救う事が呪術医の使命ではないのでしょうか。これではまるで……」
俺は、咲耶の話を聞きながら、ゆっくりと立ち上がると、窓の前に立ち、月の光を浴びるように照らされる宿木を見つめた。
「人の命を一箇所に集約させ、その命を逃さないように縛り付けているようです」
……生かすも殺すも……塔次第……。
呪術医が使う呪術……か。
窓から見える宿木を見つめていた。
……やはり……時折、光が見える。
赤く、青く……そして白く色を変えていた。
「貴桐さん……?」
一点を見つめたままの俺を咲耶が気にしていたが、俺は何も答えなかった。
……どうしたものか。
俺の視線を追って、咲耶が窓の外へと目を向ける。
「あれは……貴桐さん……」
「……ああ」
あいつはやっぱり……。
「差綺の網だ」