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scene 16 美少年と約束する

 春日くんは無事だった。


 それどころか、ゴブリンを仕留めていた。

 彼の足元にはゴブリンが股間に両手をあてた格好で倒れている。丸まった背中には、槍が生えていた。最後は槍で決めたらしい。

 すうっと淡い光を放ちながらゴブリンの姿が消えた。


 春日くんは、僕を見ると驚き、そして微笑んでくれた。

 そのとき、ふらっと僕の胸に倒れこんでくる。

 僕はガラス細工を扱うようにできるだけ優しく受け止めた。

 彼はすぐに姿勢を戻したが、それでも疲労が抜けているようには見えない。


「やってやった……! やっつけた!」

「すごいよ! 一人でゴブリンをやるなんて!」

「ゴブリンと言うのか……なんか奴らのこと知っているみたいだね?」

「ゲームとか小説に出てくるモンスターだよ。それを知っているオタクにはそう見えるんだ」

「じゃあ、弱点とかわかる?」

「ゲームだと、弱点を探すほど強くないんだ」


 春日くんは、がっくりきたようだった。


「も、もちろんゲームと現実は違うよ」

「現実かぁ」

 春日くんは、校庭の方に目をやった。


 ゴブリンたちが逃げ遅れた生徒たちを襲っている光景が嫌でも目に入る。


 春日くんは、ゴブリンたちの方に歩きはじめた。

 僕は驚いて彼の肘を掴む。


「もう逃げよう、春日くん。もう十分だよ。あとは自衛隊に任せよう」

「自衛隊? ほんとに来ると思う?」

「自衛隊じゃなくても、プロの大人に任せようよ。こんなの高校生の手に負えるわけないよ」

「目の前の光景が見えないのっ? 人が殺されているんだよっ!」

「じゃあ、春日くんは通り魔を一人一人やっつけるの?」


 春日くんは、僕の手を振り払って、足早に遠ざかっていく。


 僕は彼の背中を見て、どうしていいかわからなかった。


(春日くんはもう限界だ……)


 それだけはわかった。

 そもそも最初の出会いは保健室だったのだ。

 もともと本調子ではないのだろう。

 それに加えて、ゴブリンとの死闘を繰り広げていた。


 僕に何ができる?

 このまま春日くんを置いて校舎に戻るのか。そんなことをすれば確実に春日くんは死ぬ。そういうのを見殺しと言うのだ。

 春日くんを止めることができるアイデアがひとつだけ思い浮んだ。

 それは僕の死を意味するかもしれない。でも……。


 僕は震えながら深呼吸をした。


「春日くん! 僕がやるよ……僕がみんなを助ける」

 春日くんが足を止めてくれた。


「キミには無理だよ。ただの引きこもりじゃないか」

「僕はこう見えても体育は得意なんだ。剣道もやってたし、喧嘩だって弱くはないよ」

 春日くんは少し考えながら、値踏みするように僕を見た。

「じゃあ、足手まといにならないようなら、ボクに付いてきてもいいよ」

 違う。それじゃ意味がない。


「か、春日くんは校舎に戻ってて。あ、あとは僕がやる」

 春日くんは今度こそ本当の怒りを見せた。


 空手の有段者を相手にするのは、正直怖かったけど、春日くんを止めるためだ。

 正拳突きがきた。お腹のあたりだ。

 さすがに僕の股間を蹴りつけることはなかった。

 僕は春日くんの正拳を腹筋に力を込めて受け止める。何とか耐えられた。

 左手で彼の右手首を掴んだ。同時に足を払う。

 春日くんがふらっとバランスを崩して倒れかかるところを、右手で腰を支えた。

 のけぞった春日くんに僕が覆いかぶさるような体勢になってしまう。まるで社交ダンスだ。

 春日くんは軽かった。女性である白皇先輩より軽い。


(こんな身体で、ゴブリンをやっつけたのか……すごい……)


 体勢的にこのままお姫様抱っこに移行できたが、もちろんそんなことはしない。ゆっくりとできるだけ優しく立たせる。


 春日くんはうつむいたままになってしまった。前髪で目元が見えない。

 うつむいたまま、僕の腹筋や胸筋を触ってきた。それから軽く小突いてくる。


「ずるいよ。ボクがどんなにがんばっても、キミみたいな引きこもりに勝てないなんて」


 骨格の太い細い、筋肉のつきやすさ、これらはどうしても個人差が出てしまう。


「春日くんはすごいよ。ひとりでゴブリンをやっつけちゃうんだもの」


 そうだ。この華奢な身体で戦ったんだ。僕なんて逃げまわってたのに。


「僕は春日くんみたいにひとりでは戦えないよ。そんな勇気ないよ。だから藤堂先輩たちと合流する。だから春日くんはしばらく休んでいてよ。『戦士の休息』も必要だろ」

「いまのボクじゃ足手まといになるかな……」

「『男の約束』をしよう、春日くん。僕は一人でも多くの人を助ける。そして無事に帰ってくる。だから君の仕事は今日は終わり。残りの仕事は僕がやる」

「『男の約束』?」

「そう。男同士の約束さ」


 春日くんは僕を見上げた。しかしもう少し遠くを見ていた気がする。


「キミはどうしてそんなにボクをかまうんだい?」

「友達になってくれたろ?」

「それだけの……理由で?」

「男というのはそういうものでしょ。違うかな」


 春日くんは今度こそ僕をちゃんと見た。


「うん。わかった。ボクは避難するよ。キミは絶対死んじゃダメだよ。『男の約束』だよ」

「ああ。『男の約束』だ」


 春日くんは笑顔を見せてくれた。やっぱり可愛いな、と想いが涌いたけど、慌てて自分の胸の奥にしまう。

 おっと大事なことを伝えなければ。


「春日くーん! 二階の教室に捻挫した女子がいるん……」

「わかったー!」


 春日くんは校舎に向かって走り去った。


 僕はゴブリンの槍を掴んだ。地面から引っこ抜く。

 よく見ると穂先にも柄にもルーン文字のようなものが刻み込まれていた。そもそも死体が消えること自体謎めいているが、なぜこの槍だけは消えないのか。

 まあいい。今は謎解きをしている場合ではない。

 僕はひとつ深呼吸してから、校庭で暴れているゴブリンたちのもとへ走った。

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