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一話

結構長めです

二話からは4000字程度の予定です

ーー街が燃えていた。

 大小二つの月が青く照らす下、至る所から炎が燃え盛り、その間を縫うように人々が悲鳴を上げながら逃げ惑う。

 その時、逃げ道を塞ぐようにレンガ造りの家屋を打ち壊して、なにかが飛び出してきた。

 飛び散る瓦礫に、運の悪い数名が命を奪われる。

 頭を、胸を、あるいは、足を押しつぶされ、瞬きもしない内に死んだ。

 声にならない悲鳴と粉塵、火の粉や煙が漂う中、それらを切り裂いて姿を現したのは――まさしく怪物だった。


「■■■■■――!!!」


 怪物が吠え、捻じれた大きな槍を掲げた。

 皺くちゃの顔、削げて骨が剥き出しになった鼻、ぎょろりとした目には、それぞれ三つの虹彩と瞳孔が昏い光を灯していた。

 遠目に見れば、大柄な男。しかし、それは人とは似ても似つかぬ異形だった。

 乱杭歯の間から漏れる唸り声からは知性を感じることは出来ない。

 とても醜悪な生物だ。そんな怪物にただの人間が出来ることと言えば、蹂躙されるだけだ。


「■■■■――!!」


 怪物が槍を力任せに振り下ろせば、握りつぶしたザクロのように弾け飛んで二人死んだ。

 その勢いそのまま、引きずり回すように槍を横に振り切れば、同じように五人死んだ。

 子供が駄々をこねるようにあちらこちらに槍を叩きつければ、数えきれないほど死んだ。

 怪物は、槍が曲がろうとお構いなしに、狂気を宿して、狂乱して、殺して、殺して、殺した。

 深く濁った息を吐き出す怪物。その周りは、血で赤く染まっていた。

 そこにいた人々の姿形はもうない。あるのは、ぬらりと光る肉の塊と、それからわずかに覗く白い骨の欠片。

 人間で作られたつみれという、凄惨な残り香だけだ。

 濃密な血の煙が漂い、つんと、鉄の香りが鼻をつく。

 それらを堪能しているのか、怪物の口からだらしなく唾液が垂れた。

 と、どこからか足音が聞こえてきた。

 がしゃがしゃと鎧を身にまとっているような足音だ。

 怪物がそちらを見てみれば、1人の騎士が抜き身の剣を手に持ちながら、おぼつかない足取りでこちらに向かってきているところだった。

 その騎士の白いマントは、所々真新しい赤黒いシミがあり、ここに来るまでいくつもの死線を潜り抜けてきたことが伺えた。

 騎士は人間だった物に震える手を伸ばす。伸ばして、途中で力強く拳を握りしめた。

 その掌からは、血がしたたり落ち――瞬間、目に見える程の殺気が迸った。騎士から黒い暴風が吹きつけているかのようだ。その黒い髪から覗く同じく黒い瞳は、殺意の底の見えない深淵を湛えている。

しかし、怪物はそれを嗤う。

 矮小な存在がいくら吠えたところで毛ほども気にしない。

 格上の存在であったとしても、たとえ神だったとしても嗤って、吼えて襲いかかる。

 それが、その怪物という存在だ。


「■■■■■ーーー!!!」


 怪物は、僅かに原型を残す槍を振りかざし、騎士に飛びかかった。

 大気を切り裂き、容易く音を置き去りにする槍の一撃。上から下へと稲妻の如く迫るそれを騎士は構えて――切り裂いた。

 ただそれだけ。しかし、その過程と結果は驚くべきものだった。

 鉛色の閃光が走ったかと思えば、怪物の後方で騎士が剣を振り抜いていた。

 まるで、そこに至るまでの過程を省いたように、結果だけがそこにあった。

 神速の斬撃。その後を追って、突風が吹く。

 切り裂かれた槍の矛先が宙を舞い、かん、と地面に落ちた。

 怪物が初めて驚きの表情を浮かべ――その顔に一筋の線が伸びる。

 そして、怪物の体がそれに初めて気づいた時、徐々に縦に割れ始めた。

 ぶちぶちという音をたてて崩れ落ちた怪物。その表情は、自分の死に気づいていないようだった。

 それを見て、騎士は顔を顰める。

 あっけない。激情の行き場が見当たらない。そして、自分になさけない。間に合っていれば、確実に救うことができたのに。


「丁嵐騎士長! 御無事ですか!?」


 自責の念に囚われていた騎士――丁嵐の下に、丁嵐と同じような恰好をした複数の騎士たちが駆け寄ってきた。

 彼らの顔や鎧は煤で汚れており、非常にやつれていた。

 そんな彼らは辺りの凄惨な光景を見て、うめき声を漏らす。中には、唇を噛んで血を流している者もいた。

 そんな彼らに丁嵐はなんと言葉を掛けていいのか分からず、ただうつむくことしか出来ない。


「すまない、俺がもう少し早く救援に向かっていれば……これではもう、まともに弔ってやることもできない」

「……お気になさらないでください、騎士長のせいではありません。民たちは仇を討っていただいて、報われたでしょう。心置きなく天へと向かえます」

「そうか……そうだといいのだが」


 丁嵐はわきにある肉塊を見て、目を閉じた。

 神など信じているわけではないが、彼らの死後がせめても安らかであること祈る。


「騎士長報告が」

「なんだ?」

「北部城壁の一部が突破されました。小型の魔物が多数侵入したとのこと。また、西部城壁に”禍人”が現れ、第五魔導中隊並びに第二歩兵連隊は壊滅。至急応援を、とのことです」

「チッ、禍人まで出たか……!」


 丁嵐は禍人が出現したという西部城壁を睨みつける。

 瞬間、城壁に一条の雷が落ちた。それも、二階建ての家屋をまるまる呑み込んでしまうほどの巨大な雷。

 それが、拳大の雹を伴って降り注いだ。

 耳をつんざく轟音と衝撃が丁嵐の体を襲い、家屋に僅かに残っていたガラス窓が弾け飛ぶ。

 丁嵐は、ガラス片が視界を塞ぐ中で、それを成したであろう人を見た。


「姫様!」


 その人、丁嵐たちとはすこし様相の異なった鎧を身に着けている女性は、等身大の金属製の杖を手に”空を飛んでいた”。

 彼女の周りには、彼女自身をゆうに超える蒼い火球がいくつも鎮座しており、戦場に似つかわしくない幻想的な光景を作り出している。

 まさに、戦乙女だ。


「さすが将軍閣下……! これほど離れているというのに、肌に刺すような威圧感……凄まじいまでの魔力行使ですね。これには、さすがの禍人と言えどひとたまりも――」

「いや、まだだ。魔物の王は、あの程度の攻撃じゃあ死なない」


 丁嵐がそう言った途端、先ほどの巻き戻しのように、下から上へと全く同じの雷と雹が襲いかかった。

 周りの騎士たちが悲鳴のような声を漏らす。

 あれほどの魔力行使を弾き返されたのだ、その気持ちが痛いほどに分かる。

 だが、当の本人は少し顔を顰めただけで、涼しい顔をしていた。

 周囲を漂う火球を前方に束ねると、一層にその輝きを増し――まるで小さな蒼い太陽、

 その収束された膨大なエネルギーを迫りくる雷に向けて解き放つ。

 極大の光線と雷が空中で激突した。

 どん、と空気が大きく揺れる。世界が悲鳴を上げているかのようだ。

 衝突の余波に騎士が「くっ……」と声を漏らす。

 これほどの圧力だ、それも仕方ない。普通の人間ならば立つこともままならないだろう。

 と、その時、炎と雷の衝突の間から小さな雷が漏れた。

 それは、極大の雷と比べれば小さいだけで、一般的に考えて十分に大きい。

 雷は人ひとり簡単に丸焦げにすることが出来るはずだ。

 それが雹を伴ってこちらに向かってくる。身動きの出来ない騎士目掛けて。


「伏せろ!」


 近くの騎士が動けない騎士を押さえて、雷を躱そうとするが遅い。

 一拍もしない内に雷に打たれて、雹に滅多打ちにされてしまう。

 騎士は死を覚悟したが――その前に丁嵐が立ちはだかった。

 丁嵐は雷と雹を打ち払うように剣を振り下ろす。

 すると、雷は真っ二つに切り裂かれ、雹は剣圧に屈するように打ち砕かれた。

 切り裂かれた雷が、後方の家屋に衝突して、それを破壊する音が聞こえる。

 後ろを振り返れば、騎士たちは無事のようだった。


「騎士長、申し訳ありません……!」」

「気にするな。それよりも、お前たちは城壁内に侵入した魔物の討伐に行け。禍人は俺がなんとかする」

「は、はい! ご武運を!」


 丁嵐は騎士の声を背中に、いまだに衝突を続ける炎と雷、姫様と禍人へと駆けだした。

 一歩で空気の壁を貫き、二歩で音を追い抜いて、三歩で最高速度に達する。

 その衝撃は、道を、家を、街を破壊する。

 近くに住民はいない。この区画の住民は、既に城へと避難を完了している。最後の避難民たちは、先ほどの怪物――魔物に惨殺された。

 だから、本気を出せる。遠慮せずに行動できる。

 丁嵐は、建物に突っ込んだ。

 剣を一閃。そして、壁をばらばらに切り裂くと、それらを体当たりで吹き飛ばす。

 建物に侵入した丁嵐は、向かい側の壁も同じく破壊した。


「■■■!?」


 と、宙を舞う瓦礫の向こう側に魔物が見えた。

 ヤギと人間を混ぜ合わせて、禍々しく整えたような奴が3匹。

 驚いたような表情をしているのが、ゆっくりと進む視界の中で分かった。

 報告にあった魔物の一部だろう。

 咄嗟に構えたようだが、遅い。

 丁嵐は魔物の間を走り抜けて、すれ違いざまに切り裂いた。

 すると、幾千と切り刻まれた魔物たちの体から同時に紫色の血が噴き出し、吹き飛んだ。

 剣撃と高速移動の衝撃波、いくら魔物といえども耐えられるものではない。

 仕留めた。

 手ごたえから確信した丁嵐は、振り向くことなく飛び上がった。

 建物を足場に更に飛んで、街で一番高い建物――時計台に飛び乗る。

 西部城壁の上空では、炎と雷の衝突が続いていた。

 その勢いは一層増しており、断続的に炸裂音と爆発音を響かせている。

 丁嵐は目を閉じて、剣を構えた。

 感覚を研ぎ澄まし、体に力を巡らせる。

 それは、とどまることなく加速していき、やがて途方もない熱となった。

 力だ。到底人の手に収まるものではない力。それが剣に流れ込み、白熱する。

 イィィィン、という音を立てて、剣は姿を変えた。淡く輝き、押し潰すような威圧感を放っている。

 気づけば、丁嵐の体も変化を遂げていた。

 力強さが溢れかえり、まるで蜃気楼のように周りの空間を歪める。

 それだけではない。知覚が波のように広がっていく。

――腕が……! 俺の腕が……!

――誰か私の子供を知りませんか!? 7歳くらいの女の子です!

――もう終わりだ……俺は今日ここで死ぬんだ……


「くっ……」


 人々の声を聴いて、丁嵐は小さく呻いた。

 助けを求める人々の声を無視し、騎士たちが助けてくれるのを信じて待つ。

 最高の一撃を放つ絶好の機会を。

 その時、上空で衝突していた炎と雷が爆発した。力の奔流にその力自体が耐えられなくなったらしい。

 どおぉぉぉん、と光が広がっていく。それは、視界を埋め尽くし、前後左右の感覚をあやふやにする。

 瞼を閉じていても目が焼かれそうだ。

 戦闘音と悲鳴だけが聞こえる真っ白な世界。

――その中に紛れている影。飛び上がり、姫様に襲いかかろうとしているそれを捉えた。

 丁嵐は目を見開き、渾身の力で飛び出す。

 そのあまりの衝撃に時計台が崩れ落ちた。だが、丁嵐をそいつ――禍人の下に運ぶ役割は果たした。


「■■■■■ェゥァ!!!」


 禍人は、赤ん坊の顔が2つ付いた化け物だった。

 長細く、鋭く尖った指が10本生えている手は、堅牢な城壁すら容易く切り裂けるだろうし、なによりその巨体――5mほどある体はそれだけで脅威だ。その体で城壁を瞬く間に飛び越える身体能力は、驚嘆に値する。

 まさしく、魔物の王。

――ピィィィン

 丁嵐に気づいた禍人は、泣いた。それは超音波のように空気を震わせ、丁嵐を襲う。

 体に影響はない。直接的な攻撃ではないようだ。だが、丁嵐の視界を流れる景色が急速に遅くなり始めた。

 そして、止まった。飛んでいるわけでもなく、ぴたりと静止している。いや、徐々にだが押し返されている。

 雷を跳ね返したのはこれか! 

 丁嵐は姫様の雷が跳ね返された光景を思い出した。

 なんて強力な技だ。こちらの攻撃は届かず、むしろ利用され、一方的に嬲り殺される。

 泣き声を起点にした技なんだろうが……声? なるほどそういうことか。

 丁嵐は勢いよく息を吸い込むと、思い切り雄叫びを上げた。

 咆哮に等しいそれは、空間を軋ませ、禍人の泣き声すら掻き消す。

 すると、どうだろうか、押し返されていた体が再び進み始めた。

 禍人は狂ったように泣いて、咆哮を押し返そうとしているが、

――無駄だ。俺とお前とでは背負っている物が違う。人々の叫びが魔物に負ける道理はない……!

 丁嵐はより一層咆哮を上げ、禍人へと迫る。その速度は元通り、いや、それ以上のものとなっていた。

 切り裂く!

 丁嵐は、剣を振りかぶると、禍人の胴体目掛けて一閃。

 剣は、禍人の肌に一瞬抵抗を受けたが、胴体を斜めに両断した。

 断面が白い炎にまかれる。

 それは瞬く間に体全体に広がると、禍人を浄化の炎で覆い尽くした。 


「■■■■■ゥゥ――!!」

「チッ……これで死なないのか!? なんて生命力してやがる!」


 禍人は切り裂かれ、燃やされても生きていた。 

 虫の息だろうが、追い詰められた奴がなにをするのか分からない。

 速くとどめの一撃を入れようと振り返って――巨大な岩が目にも止まらぬ速度で禍人に襲いかかった。

 1つだけではない。いくつもの岩が禍人を囲むように現れ、敵目掛けて殺到していく。まるでサンドバックだ。

 気づけば、岩の小さな惑星が出来上がっていた。

 瞬間、そのつぎはぎの惑星から炎と雷が勢いよくあふれ出す。一つ一つが高密度で、身震いするほどの力だ。

 こんなことを出来るのは一人しかいない。

 丁嵐は構えていた剣をおろし、力も解いた。

 自由落下に身を任せて着地すると、1つ息を吐く。 


「姫様、助かりました」

「それは私の台詞ですよ、丁嵐騎士長」


 ふわりと、丁嵐の隣に人が舞い降りた。

 白に近い金髪が広がり、花のような香りが鼻腔をくすぐる。

 見てみれば、鎧を纏い、等身大の杖を持った女性――リーナ・グランデがいた。

 姫であり、将軍でもある彼女は、その蒼い瞳を空中の惑星へと向ける。 


「どのような原理か分かりませんが、泣き声に私の魔法が跳ね返されてしまってどうしようかと困っていたのです。まさか、ただの大声で対抗するとは思いませんでしたが」

「私も赤ん坊と泣き比べすることになるとは思いませんでしたよ」


 丁嵐がおどけてみせると、リーナは小さく笑った。

 禍人を倒したのだ。少し緊張が緩んだのかもしれない。

 だが、まだ終わっていない。むしろ、これからだ。

 丁嵐は表情を引き締めて、一歩踏み出した。

 多くの視線を感じる。城壁の上からだ。西部城壁に詰めている兵士がこちらを見ていた。

 彼らの多くが傷を負っており、中には体の一部が欠損している者もいた。だが、その目は熱い光を灯し、爛々と耀いていた。

 丁嵐はそれに答えるように剣を天高く突き上げる。


「禍人、討ち取ったり!」


 うおおおおお!!

 歓声が大爆発した。それはこの街を守るすべての戦線へと波及していき、至るところから勝鬨に似た咆哮が聞こえてくる。

 熱気が町全体を包み込んでいるかのようだ。

 丁嵐は小さく息を吐き出して、剣を降ろした。


「申し訳ありません。手柄を横取りしてしまって」

「いいえ、剣を掲げ、皆を導くのはあなたの役割です。それに、どちらかと言えば、横取りしたのは私の方ですよ。さてーー」



 リーナが指を上げると、彼女の体と丁嵐の体がゆっくりと浮かび上がった。

 魔力行使だ。温かい魔力が体を取り巻いているのを感じる。

 高度はどんどん上がっていき、やがて西部城壁を一望できる場所まで来た。

 戦況を見たリーナは顔を顰める。


「状況は最悪です。西部城壁の主力は消え、敵は増すばかり。ギリギリのところで堪えていますが、戦線が崩壊するのは時間の問題です」


 リーナの言う通りだ。

 城壁前では、兵士と魔物の激戦が繰り広げられているが、数が違いすぎる。

 そもそも、人間と魔物では基本的な戦闘能力において、絶望的な格差がある。

 今も多くの兵士が魔物に殺され、その体を死体の山に加えた。

 そこには肉の山があって、血の川が流れている。

 防衛出来ているだけよくやっている方だ。

 カツ、と丁嵐とリーナは城壁の上に着地した。 


「けれど、私とあなたならどうにかできる……かもしれません」


 丁嵐は静かに耳を傾けた。その声が覚悟と悲壮感に包まれていたからだ。

 リーナは振り返って、丁嵐の瞳をじっと見つめてくる。


「私の騎士、僅かな可能性に掛けて、共に死地へと向かってくれますか?」


 透き通った綺麗な目だ。吸い込まれて閉じ込められてしまう。

 いや、既に囚われていた。

 だからだろうか、丁嵐は笑って答えた。


「どこまでもついて行きますよ、逃げられると思わないでくださいね」

「さすが、丁嵐騎士長。頼りになります」


 リーナは溢れんばかりの笑顔を浮かべた。それは、満開の花のようだ。

 なんだから恥ずかしくなった丁嵐は、顔を逸らして頬を掻く。


「それで、その可能性ってのはなんですか?」

「禍人を討ちます」

「それはどういう……」


 空中に浮かぶ惑星に閉じ込められた禍人。

 それが頭に浮かんだ丁嵐だったが、どうやらそうではないらしい。

 リーナは鋭い視線を城壁に迫る魔物へと向けた。


「さきほどの禍人ではありません。別の禍人です。見たところ、魔物は最低限の組織だった行動をしている。これほど大規模の侵攻にもかかわらず同士討ちをしていないのがいい例です。こんなことは、すべての魔物がなにかの絶対的な指揮下にない限りありえません。それが出来るとすれば、魔物の王である禍人だけ。ですが――」

「禍人を倒したのに、魔物の行動は乱れていない。だから、別の禍人がいる……」

「そのとおりです。どこかにいる禍人を探し出して、倒せばあるいは……」


 無数の、それこそ、城壁から一望できる範囲をすべて埋め尽くす程の魔物を見たリーナの声が尻すぼみになっていき、最後は掠れて消えた。

 なるほど、僅かな可能性というのは、伊達ではないらしい。

 だが、やるしかない。

 丁嵐は考える。思考は驚くほど冷静で早い。火事場の馬鹿力みたいなものだろうか。

 禍人はどこにいる? 人間で言えば、指揮者は後方だ。

 では、後方? 違う。魔物は人間を殺すことを我慢できない。それは禍人も例外ではないはず。

 こつこつ、と剣の柄を叩く。丁嵐は城壁前に殺到している魔物たちに視線を巡らせた。

 それらしき姿はない。禍人はその存在感が圧倒的だ。

 先ほどの禍人のように、見れば一発で分かる。だが、見当たらない。

 リーナも同じ思考にたどり着いたのか、眉をひそめていた。

 丁嵐は手詰まりを感じ、その瞬間、怖気に襲われた。

 ……待て、本当に二体いるのか? その前提が間違っていれば、禍人を殺し切れていないのだとしたら――

ありえない、と思いつつ、丁嵐は弾かれたように惑星を見上げた。

 すると、その惑星に罅が走り、瞬く間に広がっていく。

 惑星の一部が剥がれ落ちた。

 目だ。その間から大きな紅い瞳が覗いている。それを縁取る幾本もの手が、裂け目の淵に手をかけた。


「ッ!? 姫様!」


 途方もない寒気を感じた丁嵐は、リーナを掴み、全力で飛び退いた。

 刹那、惑星が爆発した。

 ただの爆発ではない。核融合や水素爆弾に連なるかのような大爆発。

 衝撃波と猛烈な熱波が襲ってくる。

 丁嵐はマントで自分とリーナを包み込むと、体に力を漲らせた。

 溢れ出た力で周囲の空間が歪む。しかし、それでも耐えられない。 


「くっ……」


 苦悶の声を漏らした丁嵐だが、その体を半透明の障壁が包み込んだ。

 丁嵐を襲っていた衝撃波と熱波が次第に緩んでいく。

 リーナだ。彼女が手を伸ばして、魔力行使している。

 だが、そうとう無理をしているらしく、額に冷や汗が浮かんでいた。


「一体なんなのですか、あれは……!」

「分かりません。ただ言えることは――」


 その時、黒い閃光が走った。

 丁嵐は咄嗟にリーナを放り出す。

 すると、鮮やかな紅が空中に散らばった。

 丁嵐の血だ。腹のど真ん中に大穴を開けられたらしい。 


「一狼!」


 リーナがこちらに手を伸ばしているのが見えた。

 そして、その背後。

 漆黒に染まった手があった。それが一つ空中に浮いている。

 どうやら、あいつにやられたらしい。

 そして、黒い手は、リーナをもその手にかけようとしている。 


「させるかよ……!」


 丁嵐は体を捻って、斬撃を飛ばした。

 しかし、避けられた。点と点を転移しているかのような速さだ。

 剣を振り切った丁嵐を隙ありと見たのか、黒い手が一直線に襲ってくる。

 しかし――


「かかったな!」


 丁嵐は剣を白熱させると、一閃。黒い手を切り裂いた。 

 瞬く間に燃やし尽くされた黒い手は、風に流されて消えて行く。

 どうやら、あえて隙を作る作戦は上手くいったらしい。

 見たところ、リーナは無事のようだ。

 それを見て安心すると、急に意識が遠のいていく。

 怪我は思った以上にひどいようだ。

 勢いのまま、なにか固いものを突き破って地面に激突したのを感じた。

 舞い散る埃の中、崩れ落ちた壁と絢爛な内装が見える。

 街の中心にある城まで吹き飛ばされたみたいだ。 


「ごふ……」


 口から血が噴き出した。血に溺れて、上手く息が出来ない。

 だが、それよりも寒かった。腹に空いた大穴から血が猛烈な速度で失われているのだ。

 ああ、俺は死ぬのか。

 やけに白くなっていく世界で、丁嵐は吹き抜けになった天上から空を見上げた。

 と、その空からリーナが勢いよく降りてきた。

 彼女は、「一狼!」と焦燥感を孕んだ声を上げて、駆け寄ってくる。

 そして、血に塗れた丁嵐の手を握った。 


「しっかりして一狼! いま治癒魔導士を呼んで来ますから!」

「あぁ……ひめさま」

「大丈夫、絶対に助ける! だからもう喋らないで!」


 リーナの泣き声が混じった懇願と同時に地面が揺れた。

 あの禍人の攻撃だろう。

 桁はずれの攻撃が出来るのだ。この街がどれほど持つのか分からない。

 それに黒い手。あれはまずい。他の魔物とはわけが違う。

 速く逃げろ、そう口にしようとしたが、上手く言葉に出来なかった。

 その時、慌ただしい足音が聞こえてきた。城に詰めている兵士だろう。その予想は正しかったらしく、

開け放たれた扉から兵士と老人の執事が入って来た。


「いったい何事ですか! これは……!?」


 執事は丁嵐と壊れた壁、そして、その先の光景を見て息を飲む。

 兵士達も同様だ。

 西部城壁周辺は完全に破壊され、そこから侵入した魔物と無数の黒い手が破壊の限りを尽くしている。

 唖然と立ち尽くす彼らに、リーナは声を掛けた。

 

「じい、いいところに! 治癒魔法を掛けてください! はやくしないと一狼が!」

「殿下……」

「なにをしているの!? はやく!」

「お分かりになられているのでしょう? 彼の傷は治癒魔法で治せる範囲を超えています」


 じいと呼ばれた執事の言葉にリーナは目を見開いた。


「彼に最後の言葉を」


 そうか、最後なのか。

 実感が湧かない。だが、満ち足りた気分だ。

 焦がれ、尊敬した人に看取ってもらえるからだろうか。

 リーナの瞳が見たくて、顔を向けた。涙に濡れた綺麗な瞳だ。海よりも深く、空よりも透き通っている。

 どこまでも果てしなくて……ああ、そんな顔をしないでくださいよ。

 最後は笑ってほしい。

 そんな願いが通じたのか、リーナは微笑むと、その頬を一筋の涙が流れた。

 しかし、どこか覚悟を決めたかのような表情をしている。一体なんだろうか。

 リーナは握っていた丁嵐の手をゆっくりと降ろし、頬を優しく撫でた。 


「最後ではありません」

「殿下……?」

「一狼を元の世界に帰します。そこは医療がこの世界よりも発達していると聞きました。もしかしたら、助かるかもしれません」


 リーナの言葉に丁嵐は少なくない驚きを覚えた。

 元の世界……どんなところだったけ……?

 忘れて久しい故郷。僅かな記憶の欠片があるだけで、ぼんやりとしか思い出せない。

 こちらの世界の過酷な環境がそうさせるのだろうか。

 そんなところに帰すと言われても納得がいかない。

 仲間を、リーナを置いて行けるわけがない。

 そもそも――

「不可能です。世界を超えるような大魔法は、大量の魔力を必要とします。騎士長をこの世界に召喚した際は、大人数の魔法士の魔力回路を犠牲にしてようやく実現しました。そのような魔力、どこにあるというのですか?」

「ここにあるでしょう」


 ……!? なにを言っているんだ……!

 丁嵐は思わず目を見開く。

 兵士と執事も同じく驚きを露わにした。


「い、いけません! 御身は民の希望! あなた様の力なくして明日を迎えることなど――」

「明日など、訪れません」


 リーナの視線を向けた先。そこは地獄だった。

 禍人が閉じ込められた、いや、閉じこもっているのか、ともかく、岩の惑星から大木の幹のような腕が幾本も伸びて、街をなぎ払っていた。まるで、子供の砂遊びだ。吹き飛ばされた建物は、木の葉のように宙を舞っている。

 先ほどまでの魔物と黒い手が暴れまわっていた光景が天国に思えた。

 それには二の句が継げないのか、執事は下を向く。


「人類に残された最後の街は陥落し、組織的な反攻が出来なくなった人類は衰退の歴史を辿るでしょう。

そこに私は必要ありません。下手に力を持った人間がいれば、残った土地を奪うための道具にしかならない。それならば、最後に一番大切な人のため力を使いたいのです」

「殿下……考えは変わらないのですね?」

「ええ」


 決意が満ちたリーナの顔に執事はため息を吐いた。


「思えば、姫様はわがままというものをおっしゃったことがなかった。これを聞き入れなかったとあれば、執事失格でしょう」

「ありがとう」

「お礼は不要です。私はあなた様の執事ですから。さて――お前たち、城内に侵入する魔物を討つぞ! 民が避難する時間を少しでも稼ぐのだ!」 


 執事は兵士の掛け声と共に去って行った。

 その背中に向けられていた目が丁嵐に向けられる。

 優しさに満ち溢れた表情だ。

 やめろ、やめてくれ。

 しかし、言葉は出ない。

 リーナの言葉が一方的に語りかけられるだけだ。


「一狼、あなたは私の誇りです。世界のため、皆のためよく尽くしてくれました。ですが、それも今日まで」


 リーナの手は、丁寧に丁嵐のマントを外した。

 体が軽い。ここまで重かったのか、このマントは。

 背負っていた責任の大きさに驚いていると、唇に柔らかな感触が重なった。仄かな甘い香りがする。

 え……?

 一瞬だった。すぐ近くにあるリーナの顔を見て、初めてキスされたことに気づく。

 彼女は名残惜しげに額を合わせ、立ち上がった。

 その顔はいつも通り凛々しく、遠い。見えない何かに隔たれたかのようだ。

 そして、放たれた言葉は突き放すものだった。 


「丁嵐一狼、あなたを騎士長から解任します。そして、ただの一般人がこの世界にいる理由はありません」


 瞬間、リーナの体から魔力が膨れ上がった。

 あまりの魔力に城が揺れている。

 感じたこともない巨大な魔力だ。いや、一度だけある。

 これは、俺が召喚された時と同じ……!

 波となった魔力が寄せてはまた打ち返す。

 そのたびに丁嵐の体がぶれ、薄くなっていく。

 クソ!リーナ!

 体に残るすべての力をかき集めて立ち上がろうとして――無様に膝をついた。

 待ってくれ……約束したじゃないか、どこまでもついていくって。

 伸ばされた手はむなしく空を切る。

 その手はほぼ透明で、向こう側に見えるリーナは儚く笑って見せた。 


「一狼、どうか達者で」


 魔力が爆発した。

 光の世界が丁嵐を包み込む。

 やかましく存在を主張していた破壊音が聞こえない。

 なにも感じない。

 しかし、それも一瞬で、騒々しい世界に投げ出された。

 人々の足音、話し声、車が走る音。

 懐かしい喧しさだ。

 光に焼かれた目を細めて、周囲に広がる光景を見る。

 そこは、テレビでよく見た場所。渋谷のスクランブル交差点のど真ん中だった。


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