第八話 貧民街にて
翌日。再び少女の家……うん。家を訪れる。
しかし、彼女の姿はなかった。
まだ朝は早い。約束を破られたのか。それとも、単にまだ帰ってきていないだけなのか。
色々と思うところはあるが、どうしたものか。
見てくれがどうであれ、一応、女性が寝泊まりしている場所だ。
また勝手に踏み込むのはどうかと思い、その前に座り込む。
今日も今日とて、フードを被っているため、見た目は完璧に浮浪者そのものだ。通りすぎる人々も、俺を気にしている様子はない。
それにしても、と空を仰ぐ。
雲一つない、いい天気だ。
あの一件以来、宿の部屋は変えてもらったのだが、なんとなく落ち着かなくて、結局、昨日も熟睡できていない。これなら、安い大部屋にしておけばよかった。
……少し、寝るか。
「……お、おい」
「ん?」
少し微睡んでいたところに、声を掛けられた。
幼い男の子の声だ。
精一杯の虚勢を張っているが、怯えを隠せてはいない。
気付いてはいたが、すっかり囲まれている。
といっても、いずれも小さな子供たちばかり。向けられている感情も敵意というよりは、恐怖といったほうが正しい。
危険はないかと、マントの下でそっと触れていた剣の柄から手を離す。
顔をあげると、そこには小さな男の子が立っていた。声を掛けて来たのは彼なんだろう。
「何かな?」
極力、柔らかい声音を意識しながら、俺はフードを下ろした。
俺の顔か。それとも銀髪か。
理由はどちらにせよ、男の子は一瞬、怯んだように身を引いた。
が、すぐに覚悟を決めたのか。
「ラキアお姉ちゃんを、何処にやった」
小さな彼に出来る精一杯で、俺を睨みながらそう言った。
ラキアというのは、あの赤毛の少女の名前だったか。
「いや。俺もラキアお姉ちゃんを待っているんだけど……何? みんなも探してるの?」
「お前が隠したんだろ!」
尋ね返す俺に、男の子が大声を出した。
「おねーちゃんを返せ!」
彼の周りにいる子供たちから口々にそう言われて、頭を掻く。
どうにも、話が見えない。そう思って立ち上がった途端、子供たちが悲鳴をあげながら散ってゆく。
ぽかんとしている俺の前に踏みとどまっていたのは、最初に声を掛けてきた男の子だけだった。
その子が、俺を見上げながら言う。
「な、殴られたって、怖くないぞ……」
いや。殴らないけど。
ぶるぶると震えながら、挑むように両手で拳を作った男の子の姿に、ようやく話が飲み込めてきた気がした。
つまり、あの少女、ラキアは誰かに捕まっているわけか。
そして、そいつは子供相手にも暴力を振るうような奴だと。
詳しく事情を聞きたいが、まずは誤解を解くのが先だな。
すっかり涙目になりながらも、懸命に俺を睨み返してくる男の子に、腰を屈めて目の高さを合わせる。
「ええと、俺は」
と、そこまで口にしたところで。
「ミゼル。そん人は、アイツらとは違うよ」
突然、男の子の背後から、しわがれた声が響いた。
顔を向ければ、そこにはいつの間にか、一人の老女が立っていた。
「婆ちゃん?」
訝しむように訊き返した男の子に、老女はまっすぐと俺を見ながら答えた。
「そん人の頭を見なね。銀の髪じゃ。そん人は、北の一族じゃ。北の一族は誇り高い。たとえ放浪人に身をやつそうとも、ゴロツキになんぞはならん」
「……今だ、我らのことをそのように言っていただけるとは」
老女の言葉に、俺は背筋を正してから深く頭を下げた。
誇り高い、か。
否定するわけではないが、随分な褒め言葉だ。
実際は、誇りの他に残されたものが何もないと言った方が正しい。
「子供たちがすまんね。北のお兄さん」
頭を下げている俺に、近づいてきた老女がそう詫びた。
「いえ。仕方のない事かと」
「そんで、ラキアにいったいどんな用件があったんかね?」
尋ねる老女の瞳は、思いのほか鋭い。
「ええと……その。ラキアさんに貸しているものがあるので、それを返してもらう約束をしてたんですが」
誤魔化すようにそう答えるが、彼女はそれだけで何かを察したようだった。
憂いていたことが現実になってしまったというように、溜息を吐いていた。
「こちらからも、お聞きしていいですか?」
丁寧に尋ねた俺に、老女は語ってくれた。
この街の、いや、この貧民街の現状を。