第七話 紅髪の少女
それは、燃えるような紅い髪をした少女だった。
比喩ではなく、腰元まで伸びたその髪は本当に真っ赤だ。
その髪色に、なるほどと思った。
精霊人の血を継いでいるのだ。
遥か昔。この世界に人間が生まれて間もない頃の話だ。
当時、世界には精霊が溢れていた。
今日、妖精人と呼ばれるドワーフやエルフと違い、本来、それらは実態を持たない存在だ。
そんな彼らは時に、肉の身を纏って人間の前に現れることがあった。
どういった秘術なのかまでは分からないが、ともかくそうして肉体を得た精霊の事を精霊人と呼ぶ。
その頃は、人間もまた彼ら精霊人と近しかった。人間と精霊人は時に助け合い、時に争い合い、そして時には子を成すこともあったという。
そうして生まれた子供は、親となった精霊人の力の一部を受け継いでいた。ただの人では操ることのできない力を操り、その肉体は遥かに頑丈で強かった。
と。ここからは俺の個人的な考えになるのだが。その当時は精霊人との間に子を成すことはそれほど珍しい事じゃなかったのだと思う。
それから長い時間が過ぎて、精霊人のほとんどは世界から姿を消してしまったが、時々、普通の両親の間から、その力を宿して生まれてくる子供がいるからだ。
そして精霊人の血が強く発現している者は、瞳や髪が特徴的な色をしている場合が多い。
目の前にいる少女の、真紅の髪は、間違いなく何らかの精霊人の血を継いでいる証だ。
となれば、昨日みせた彼女のあの身のこなしも納得できる。
まさか、挨拶しただけで鉄拳が返ってくるとは思わなかったが。
中々鋭い拳だった。
勝ち気そうな面立ちに違わず、勇ましいお嬢さんのようだ。
「人の家で何してんのよ!!」
などと、一人納得している俺に向かって、少女が怒鳴る。
「……家?」
彼女が家と呼んだこの場所を眺めながら、思わずそう零してしまう。
四隅に突き立てられた木の枝を支柱に、粗末なぼろきれを何枚も張り合わせたものが被せてあるだけだ。雨が降れば、水浸しになるんじゃないだろうか。
当然、足元に床などない。地べたに藁束が敷いてあるくらいだ。
少し藁が高くなっている場所があり、多分、そこで寝起きしているんだろう。
「何よ。何が言いたいの?」
そんな俺の呟きと視線に、少女は腕を組んで仁王立ちしながら、挑むような声を出した。
まるで、同情も憐れみも要らないとでもいうようなその態度に、思わず笑みを浮かべてしまう。
「何、笑ってんのよ」
「いや。済まない」
キツイ視線を向けてくる彼女に、慌てて笑みを消して詫びる。
「大体、どうやって入り込んだのよ」
「そんな人を鼠みたいに……そこの布を捲って、下から潜り込んだだけだ」
「鼠みたいなもんじゃないの!」
「まあまあ、別に、君と争いたくて来たわけじゃないんだ」
もう一度殴りかかられては面倒なのと、いい加減に腰が痛くなってきたので、とっとと用件を口にする。
「昨日、君が持っていったものを返してほしくてね」
「あの、宝石がいっぱいはめ込まれた、金ぴかの短剣のこと?」
「そう、それ。あれが無いと、色々と不味いことになるもんで」
「ないわよ。もう売っちゃったもの」
頷いた俺に、少女があっさりとそう口にする。
「そうか……そりゃ、不味いことになったな」
それに、とりあえず深刻そうに顔を顰めてみる。
少女の方はといえば、どこ吹く風だ。
「ご愁傷様。鋼の剣なんて吊ってるくせに、脇が甘いのがいけないのよ」
他人事のようにそう言って、少女は肩を竦める。
「大体、そんな話のために、わざわざ人の家に忍び込むなんて……」
「外で声を掛けても良かったのか?」
「な、何よ……」
真顔で聞き返すと、少女はわずかにたじろいだ。
「あの子供たちの前で、盗んだものを返せなんて言われて。それで本当に良かったのか?」
重ねてそう尋ねると、少女はうっと唸ったきり黙り込む。
彼女が貧民街の人や子供たちにパンを配っているのは見ていた。
あれを見れば、彼女が人々からかなり慕われていることも分かる。
だから、これは俺なりの気遣いだったんだが、と俺は口を開いた。
「それに、この場合、不味いことになるのは俺じゃなくて、あの短剣を盗った君と、それを買い取ったヤツだ」
「はあ?」
そう言った俺に、少女が首を傾げる。
「売られたのは別に問題じゃないんだ。あの短剣には失せ物防止の呪いが掛かっていて、呪文を知ってる魔術師がちょちょいとすれば在処はすぐにわかる」
って、知り合いの魔術師に脅されたことがあるから、たぶん本当だ。
「じゃあ、なんで私を追ってきたのよ? 早くその呪文を知ってる魔術師にでも頼んで、ちょちょいと探してもらえばいいじゃない」
そういうわけにもいかないんだな、これが。
さて、どうやって説得しようか。
「……実は、俺はこの国の騎士だ」
声を低くしてそう名乗った俺に、少女は初め驚き、次に疑うような顔に変わった。
まあ、言いたいことは分かる。銀髪だしな。
「前回の戦で、ちょっとした手柄を立てて、それで騎士として登用されたんだ。で、あの短剣なんだが、あれはこの国の国王陛下からお預かりしているものでね。柄頭に、光る宝玉を掴んだ大鷲の紋章が刻まれていただろ? あれがアンヌ―レシア王家の紋章だ。王家の品を盗んだとなれば、まあ、よくて縛り首か、悪ければ首を刎ねられるかの、どちらかだろうな」
まあ、実際。そんな大事なものを盗まれた俺の方が怒られるのだろうが。
そう思いつつ、もう一つ。駄目押しのつもりで付け加えてみる。
「それに、あのパンは短剣を売った金で買ったんだろ? それがもしバレれば、貧民街の人たちも何らかの罪に問われる可能性があるぞ」
「え、ちょ、な、なにそれ……」
人質を取るようで気が引けるが、俺が散々並びたてた嘘に、少女が目に見えて狼狽え始めた。
そこで、溜息を一つ。
「返してもらえるのなら、それでいいかと思っていたんだが。売った後なら仕方がないか」
ご愁傷様、と。先ほど少女に言われた言葉をそっくりそのまま返す。
「な、なんでそんな大事なものを置きっぱなしにしてるのよ! 後生大事に身に着けてなさいよ!」
開き直るように少女が怒鳴った。
「だから、わざわざ鍵付きの部屋を借りたんだ、俺は」
盗人猛々しいとはこの事か。まあ、彼女のいう事にも一理あるが。
でも、鈍らなんだ、あれ。
無駄にゴテゴテしてて使いにくいし。まあ、実用性を求められているわけでは無いから、あれでいいんだろうが。
俺の正論に、ぐうと唸ったきり黙り込んだ少女を見て、そろそろ仕上げかなと思う。
「それじゃあ、こうしよう」
良いことを思いついたとばかりに、人差し指を立てながら俺は言った。
「売った先を教えてくれるのならば、君のことは見逃してやってもいい」
そう提案した俺に、少女は顎に手を当てると何事かを考えはじめた。
何を悩むことがあるのか。売った先を教えてくれるだけでいいのに。
後は、それを俺が買い戻す。まあ盗品なんて扱う店だから、かなり吹っ掛けられるだろうし、口止め料も込みになるだろうが。
円満解決のためには止むもなしだ。
それに、俺にはまだ金貨さまが一枚残っている。
「……売った先は、教えられない」
しかし。散々悩んだ挙句、彼女が口にした答えはそれだった。
「首を刎ねられても良いのか?」
脅すように訊き返す俺に、少女は首を横に振った。
「それは嫌。だから、取り返してくる。それでいいでしょう?」
「そりゃ、まあ。そうしてくれるんなら」
こちらとしては楽でいい。
だが、取り返してくる、とは。何やらきな臭いが。
「じゃあ、決まりね。明日、また来て。そこで返すから」
訝しんでいる俺に少女は、話はこれで終わりというようにそう告げた。
そして、早く出て言ってと天幕、いや、家の外へ向けて腕を伸ばす。
……まあ、ここは彼女を信じてみるか。
盗人なんてしている割に、目は腐っていないし。
ここは素直に、彼女に従っておくとしよう。