第四話 盗人・前編
「それにしても、この街は随分と賑やかだな」
上手いこと女将を誤魔化せたところで、今度はこちらから話を振った。
すると、なんだい知らなかったのかい、と驚かれてしまった。
「北の山から鉄が出たんだとさ。それで、領主様が王様に掛け合って人を集めていてね。おかげでこの街も賑わっているってわけさ……ああ、そうか。だから王都の騎士団が来てくれたんだねえ……って、だから、兄さんもこの街に来たんじゃないのかい?」
「いやー……ははは。そんなこと、言ってたかなぁ?」
呆れたようにそう言われたので、適当に笑って誤魔化しておく。
そんな話あっただろうか。
いや。聞いたかもしれない。
聞き流したのかと言われれば、たぶん、そうだ。
しかし、なるほど。鉄鉱山が見つかったのか。
そういう事なら、あの通りの賑わいにも納得だ。
この大陸にある鉄を始めとした金属や鉱石の出る山は、古い盟約によってそのほとんどがドワーフたちの領地になっている。
ドワーフは冶金や鍛冶の技術に秀でた妖精人の一族である。
背は低く、大人になっても人間の子供ほどしか成長しないが、その代わりに頑強な肉体をもち、男女構わず髭を生やしている。
石や金属から美しいものを造り出すことに何よりも情熱を注いでいるのだが、彼らはとにかく金にがめつい。
金に、というか。彼らはこの世にある金銀財宝は全て自分たちのものだと思っている。
その強欲さのせいで、かつて同盟を結んでいたエルフたちから嫌われることになったそうな。なんでも、魔王との決戦に勝利したあと、彼らは同盟を結んだ見返りにエルフたちの至宝を寄こせと迫ったらしい。そりゃ嫌われるだろ。
ただし、その一方で友誼を得ることさえできれば、財宝を湯水のように譲ってくれる太っ腹な一面もある。
要するに気難しくて、頑固で頑迷だが、義理人情にもあつい連中というわけだ。
それにドワーフは闇の勢力に対して最も頑強な抵抗を続けてきた一族でもある。
そんなドワーフたちが手を付けていない山から鉄が出たとなれば、彼らから買い付けるよりも遥かに安く済むのだろう。
確かに、国にとってもいい話なのかもしれない。
掘り出す苦労はあるだろうが、その分、仕事にもなるわけだし。
「ま。景気がいいのは悪い事じゃないんだけどねえ……最近じゃ、妙な連中まで街をうろついていて困るよ」
なるほどなあと思っていると、女将がため息交じりにそう漏らした。
まあ、それは人が多く集まる以上、仕方のないことだろう。
「ああ、そうだ。兄さん、最近じゃ、旅人を狙った物取りが流行っているそうだから、気を付けることさね。それと、街の南門のほうには近づかない方がいいよ。あの辺に余所者が住み着いててね、あんまり治安も良くないから」
「ん、分かった」
言って、空になったコップをカウンターに置いて立ち上がる。
心地よい酩酊感に、疲れた頭と身体が揺れている。
鍵付きの部屋も取ったことだし、今晩は久々にぐっすり眠れそうだ。
欠伸を漏らしながら、俺は階段に向かった。
部屋の前に立った時。
扉の向こうから感じたのは、確かな違和感だった。
誰かいるな。
部屋を出るときに、ちゃんと鍵は閉めたはずなんだが。
そう思いながら、そっと扉に手を掛けて確かめると、鍵は開いていた。
ふむ。さて、どうしたものか。
酒臭い息を一つ吐いて、上着の物入れを探る。
取り出したのは、淡い水色をした半透明の宝石が嵌め込まれている銀の指輪だ。
それを右の薬指に嵌めた途端、頭を揺らしていた酩酊感が消え去り、意識が明敏になる。
指輪に込められている解毒の癒しと、精神力強化の魔力のおかげだ。
故郷を飛び出す際に、餞別代りだと祖父さんの家から持ち出してきた品の一つである。
この指輪のおかげで、俺は二日酔いに悩まされたことが無い。
……まあ。ご先祖様から脈々と受け継がれてきたものの使い道としては間違っている気がしなくもないが。
祖父さんが聞いたら、情けなさのあまり咽び泣くかもしれない。
いや。たとえどのようなものであれ、魔法の品を軽率に扱うことなどあってはならん、と叱られるだろうか。
たぶん、後者だ。
そのあとで殴られるまでがお約束である。
さて。魔法の指輪のおかげですっかり酔いも醒めてしまったので、改めて扉越しに部屋の中の気配を探る。
中にいる者は、まだ俺に気付いていないようだ。
出て来たところをひっ捕らえてもいいが。
右の腰につった剣の柄に左手を添えながら考える。酒を呑むとどうしても反応が鈍くなるので、念のため利き手で抜けるようにしていたのだ。
ま。それも酔いを醒ましてしまった今となっては、別に左右どちらの手でも問題ないのだが。
こうなればもう面倒だ。
正攻法で行くことにしよう。
善は急げ。兵法は拙速を尊ぶ。剣法もまた然り。
剣に手を添えたまま勢いよく扉を開け、中へ踏み込む。
「――っ!?」
驚いたように息を呑む声。
中にいたのは薄汚れたマントとフードを目深に被った、小柄な人物だった。
若い女だな。
わずかに漏らした驚きの声と、咄嗟にこちらへ振り返った動きの柔らかさからそう判断する。
そのせいで剣を抜くのを一瞬、躊躇してしまった。
盗人はその隙を見逃さなかった。
突然、身を翻すと、この部屋唯一の窓へ向かって猛然と駆け出した。
「あ、おい!」
その小さな背中を掴むように手を伸ばして、制止の声をあげる。
どうするつもりか分からないが、ここは三階だ。
自棄にでもなったのだろうか。
そう思っている俺の目の前で、盗人は勢いよく開け放った窓からひらりと身を躍らせた。
慌てて、窓へ駆け寄る。
外を見ると、ちょうど盗人が隣の建物の屋上に着地したところだった。
そのまま、彼女の姿は夜の闇へと消えてしまう。
「……はあ」
大したもんだと感心して息を吐きながら、盗人が消えたあたりの暗闇をぼんやりと眺める。
一瞬、真似して飛び降りてみようかという考えが頭を過ぎったが、やめておくことにした。
土地勘もない場所で、闇雲に後を追ったところで無駄足になるだろうし。
とりあえず、ベッドの上に散乱している荷物から何がなくなったのかを確かめておこう。
戦闘以外にも、調理やその他の作業で良く使う大振りのナイフが一本。投擲用の投げナイフが五本。とりあえず、装備はなくなっていない。
服は着ているものしかもっていない。あとは山で摘んできた傷に効く薬草と、干し肉に塩、それと野外調理用の小さな鉄鍋と火打石。これもあった。
なくなっているのは、一つだけだ。
「……ふむ」
不味いことになったな。